注⑴ 『国華』1267号、国華社、2001年。⑵ 展覧会カタログ『大津絵の世界 ユーモアと風刺のキャラクター』大津市歴史博物館、2006年。⑶ 大津絵の概略については主に、柳宗悦「初期大津絵」『柳宗悦全集 民画』第13巻、筑摩書房、⑷ 実際には百十種以上であったと推測される。個々の大津絵の画題については、前掲注⑶、260−⑹ 河野元昭「大津絵と応挙」、前掲注⑴、40頁。⑺ 鈴木重三『国芳』平凡社、1992年、239頁。⑻ 日本随筆大成編集部『日本随筆大成 第二期第三巻』日本随筆大成刊行会、1928年、768頁。⑼ 日本随筆大成編集部『日本随筆大成 第二期第六巻』日本随筆大成刊行会、1928年、803頁。⑽ 坂崎坦『日本絵画論体系』第5巻、名著普及会、1980年、348−349頁。⑾ 享保19年(1734)に刊行された寒川辰清の稿本『近江與地志略』17巻において既に指摘されて― 125 ―⑸ 滋賀県大津市在住の高橋松山氏をはじめ、現在でも大津絵を描く作家が活躍している。だが、彼らによる作は一度終焉を迎えた大津絵を復興させようとする動きの中、近代に入って描かれたものであるため、江戸時代に制作された大津絵とは区別される。できる。しかし、こうした対比の対象となり得たことこそ、当時の大津絵の上方土産としての知名度の高さを示しており、近世社会において、両者はある特定の地域に帰属する評判の土産品として理解されていたと言えるのではないだろうか。おわりに本稿では、近世に活躍した専門画家、特に江戸時代中後期を中心に活躍した画家の作品を紹介し、彼らの作品において大津絵がどのように取り入れられたかを分析した。その結果、大津絵の画風や運筆、個性あふれる図様、そしてユーモア精神に主な関心が向けられていたことを明らかにした。また、彼らが大津絵に関心を示した要因として、当時、大津絵は一流派に類する扱いを受けており、各派融合の動きがみられた江戸時代中後期において、大津絵は学ぶべき対象の一つとしてみなされていたことを示した。さらに、大津絵は江戸の錦絵と対比的に語られることが多く、上方を代表する土産品として評判を得ていたことを指摘した。冒頭でも述べたように、これまでの美術史研究において、大津絵は「民藝」としての見方が強く、その他の視座からは十分な議論がなされてこなかった。しかし、当時の大津絵はいずれの流派にも属さず、また、独自の絵画的特徴を持ち合わせていたことから、同時代の専門画家の間ではある一定の評価を得ていたと言えるだろう。こうした状況を考慮した上で、今後は近世絵画史における大津絵の再評価が望まれる。1982年を参照した。295頁に詳しい解説が記載されている。
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