4)蟇股の絵様 山口の中世の蟇股の内、眼玉(〔図3〕を参照)を有するものは住吉神社本殿、平清水八幡宮本殿、清水寺山王社本殿、今八幡宮拝殿、古熊神社本殿である。一般的に蟇股が眼玉を有する場合、その眼玉の位置は間斗斗尻隅に付加されているか、あるいはその斗繰隅に弧状曲線の刻線を入れ、その終部に眼玉を入れる形式が通例である。しかし、八坂神社、古熊神社、清水寺山王社のそれは、斗尻に全く接しておらず、斗尻から離れた位置に眼玉を設けている。全国的にみても、この例を有するものは山口に限定される特徴とみてよいであろう。なお、正八幡宮、閼伽井坊多宝塔では眼玉は完全に消失しており、室町後期から近世に至る様相の一過程を十分に示していると考えられる(〔図6〕参照)。5)巻6)茨け室町後期に用いられた意匠と考えられ、美術的、かつ技術的にも非常に珍しい形状を示している。斗上端揃の実■■■■■■■■■■■■■■■■■肘木 中世社寺建築の実肘木の大きさは一般的には肘木とほぼ同程度であって実肘木の成は巻斗の含み成より高い〔図7〕が、中には巻斗敷面より上端までの成が同じとなる、すなわち巻斗上端揃〔図8〕がある。山口の実例は住吉神社本殿、平清水八幡宮本殿、同・宮殿、石城神社本殿、同・宮殿、今八幡宮本殿内三宮殿、同・拝殿、月輪寺厨子、法泉寺厨子、不動院金堂、園城寺一切経蔵内輪蔵がある。これ以外の地域では広島、岡山、福岡、大分、熊本、奈良、和歌山、兵庫、千葉、茨城、栃木の一部で散見される。ところが、巻斗上端揃となる実肘木と肘木の断面積の比を考察すると、山口でのそれは肘木の約2〜3割程度であり、他地域に比し、断面積は極めて小さいことが確認された。年代性について、瀬戸内海沿岸地域の古例は岡山の長福寺三重塔(1285)であるが(注9)、山口では住吉神社本殿(1370)が古例となる。以後、平清水八幡宮、同・宮殿(室町中期)、石城神社本殿、同・宮殿(1469)、月輪寺厨子(1480)、園城寺一切経蔵内輪蔵(室町中期)、法泉寺厨子(1528〜32)、今八幡宮本殿内三宮殿、同・拝殿(室町後期)、不動院金堂(1540)にみられ、山口県下では室町前期に出現し、とりわけ、室町後期で多用された手法と考えられる。また、その変遷について長福寺(岡山)、明王院五重塔(1358、広島)、平清水八幡宮本殿、同・宮殿では、その実肘木に全く絵様が無いのに対し、それ等を除く山口のそれには渦文様を有していることから、室町後期頃から一般化していたと考えられる。の繰形を有する実肘木 中世社寺建築の一般的な実肘木の繰形は〔図9〕の如く、実肘木の先端部は反転曲線の繰形を連続させその繰形が終止する部分は水平線状となり、巻斗に納っているが、山口では〔図10〕のように巻斗と近接する部分に大きな茨を付すものがある。そのため実肘木の繰形の全容は蟇股脚元(〔図3〕参照)― 4 ―
元のページ ../index.html#15