鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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1.はじめに中国洞庭湖周辺の風光明媚な山水を主題とした瀟湘八景は、鎌倉時代に日本の禅林に受容されて以来、日本でもっともよく描き継がれてきた古典的画題であるが、江戸時代半ば頃には類型化がすすみ、18世紀に登場した文人画家にはほとんど描かれなくなった(注1)。そうした中で、池大雅(1723−1776)は文人画家としては珍しく、図巻、画帖、屏風絵、扇面を含む計6点の優品が現存している(注2)。大雅の瀟湘八景図は、その独自のモチーフや屏風絵における八景の配置、また明るく爽やかな画風が室町時代以来の伝統から逸脱している点が指摘されてきた(注3)。とりわけ、大雅の八景図には四季と時間が明確に示されている例が多く、一景ごとのモチーフも際立っていて画面内に主題の所在が明瞭に表されている。中国宋時代に遡る瀟湘八景の主題は、刻々と変わる自然の相への関心から発生し、茫洋とした江湖の光と気象、時間の変化、そして音が主題となっており、もともとは八景がそれぞれ特定の四季を直接的に表しているわけではなかった。八景のうち、季節を直接的に示すのは、「秋月」の秋、「落雁」の秋または冬、「暮雪」の冬の三つだけであり、多くは一日の中の夕方から夜にかけて、「帆帰」「暮」「夜」「晩」「夕」(夕暮れあるいは落照)が使用されている。南宋時代から特定の四季や実景と結びついて描かれる傾向はあったものの、宋迪が創始したとされる八景図の伝統的規範を重んじる性質は強かった(注4)。一方で、日本においては八景のモチーフは、室町時代以降、漢画系障屏画の主題としても流行したことから、積極的に四季山水図を構成する景として取り込まれてきた。大雅の八景図におけるこうした四季表現の独自性に関しては、従来、近世における八景図の日本化という流れの中で主に捉えられてきた(注5)。しかし、伝統的な八景図の枠組みを逸脱した大雅の高い構成力には、舶載された八景の版本や和刻本と共に、大雅が生涯にわたって追求した「真景図」からの様式的な展開をも考察する必要があろう。そこで、本稿では、瀟湘八景の主題でありながらも四季が循環する様相が見事に表されている大雅40代の優品「瀟湘勝概図屏風」(個人蔵、重要文化財)を中心に、伝統的な構成から乖離している部分を浮き彫りし、「真景図」からの展開を様式的に考察したい。あわせて、大雅の八景図が四季絵や「真景図」の成熟と共に発展してきた過程を考察することで、大雅が八景図という古典的な主題にあえて取り組んだ意味― 141 ―⑭ 池大雅の瀟湘八景図研究─織り込まれた四季の意味─研 究 者:出光美術館 学芸員  出 光 佐千子

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