鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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 第一扇目 瀟湘夜雨と遠浦帰帆(春)第二扇目 漁村夕照(春〜夏)第三扇目 洞庭秋月と平沙落雁(秋)第四扇目 山市晴嵐(夏〜秋)第五扇目 遠寺晩鐘と江天暮雪(秋〜冬)第六扇目 江天暮雪(冬)― 143 ―屏画などと大きく異なる点が論じられてきた。しかし、四季と八景の構成は中世から近世にかけての障屏画の構成からは、今まで指摘されてきたように、完全に縁を切っているのであろうか。中世に八景図が障屏画に描かれる例では、四方四季の配置に即して二景を一組にして表される傾向にあり、大徳寺大仙院方丈室中の相阿弥と聚光院礼之間の狩野松栄ではおおよそ以下のような規則に固定されていることが報告されている。 ・山市晴嵐と瀟湘夜雨(春) ・遠浦帰帆と漁村夕照(夏) ・煙寺晩鐘と洞庭秋月(秋) ・平沙落雁と江天暮雪(冬)狩野元信の四幅対(妙心寺東海庵蔵)においても、一幅に二景ずつ同じ組み合わせで描かれており、四季との関わりもおおよそ同じと指摘されている(注10)。ところで、大雅の屏風において、一扇ずつの画面に注目してみると、一扇を一画面としてその枠内に八景のモチーフが一景もしくは二景ずつ配置されていることに気づかされる。一扇目は瀟湘夜雨と遠浦帰帆、二扇目は漁村夕照、三扇目は洞庭秋月と平沙落雁、四扇目は山市晴嵐、五扇目は遠寺晩鐘と江天暮雪となっている。そのことは、本屏風の裏に貼られた草稿からも解る〔図4〕。草稿は大雅が表具師のために略図を書いて示したものであり、屏風の上側に色紙型の四角く囲まれた線の内に八景の主題が書されている。略図には屏風の各扇が縦線でうすく示されており、画中に点在する八景のモチーフが略筆で描かれている。さらに、隣通しの扇の主題が四季のつながりを持って表されていることから、八景の主題が書された扇を四季に大まかに分類してみると、以下のような構成が浮かび上がってくる。

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