― 144 ―山市晴嵐の位置を除けば、大雅の屏風においても室町時代障屏画に見られるほぼ伝統的な位置関係が踏襲されているのである。例えば、山市晴嵐が春、漁村夕照が夏を表す景と中世の障屏画においてはほぼ決められているが、大雅は山市晴嵐を、第二扇目の夏を示す漁村夕照に連なる景として第三〜四扇目の前景に配し、秋を示す洞庭秋月と平沙落雁を第三扇目の中景から遠景に配している。近世になると『瀟湘八景詩歌鈔』『鴫の羽掻』など八景和歌を収録した抄物の影響から山市晴嵐が秋として描かれる例も登場し、江戸時代初期の松本山雪(生没年不詳)は山市晴嵐の場面に稲積みを描き、山口雪溪(1644〜1732)は山市晴嵐の場面を平沙落雁の近くの左隻の中央に配し、明らかに秋を意識している景観も登場する。大雅にも柳の巨樹の下側に紅葉が小さく描かれていることから秋の意識があったことは確かであり、こうした近世の八景図屏風の流れに史的に位置づけることができる。しかし、山市晴嵐の主要な場面に陽光を受けた柳の巨樹を配するという大雅の斬新な発想には、中国における八景の重要な要素の一つである時間の感覚が、大雅ではむしろ重視されていることも観察できるのではないだろうか。近世にいたるまで日本の画家たちが参考にしてきた伝玉澗作の瀟湘八景詩によると(注11)、八景のほとんどには一日の中の夕方から夜にかけての主題が扱われており、昼の景は山市晴嵐のみである。すなわち、八景の中でもとりわけ日中の光まぶしい景である山市晴嵐を前面に据え、画面の奥や両端に向かって夕方から夜の時間を表す八景を配していると見ることもできる。第一扇目 瀟湘夜雨と遠浦帰帆(春)暮方から夜第二扇目 漁村夕照(春〜夏)夕方第三扇目 洞庭秋月と平沙落雁(秋)夕方第四扇目 山市晴嵐(夏〜秋)昼第五扇目 遠寺晩鐘と江天暮雪(秋〜冬)暮れ方〜夜第六扇目 江天暮雪(冬)真夜中から明け方「瀟湘勝概図屏風」の人物の描線は細い墨線だけではなく、墨線の上から楕円形の丸い点が施されており〔図5〕、これらの点が、山の米点、湖面のさざ波や樹木の点描と呼応して、人物に軽やかな動きを出している。点描を描線の上から施す人物表現は、線の面白さを追求した大雅の指頭画においてもあまり見られない方法である。夏の漁暇を描いた40代後期の「倣王摩詰漁楽図」〔図6〕(京都国立博物館、重要文化財)
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