鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 146 ―夾湘而往一塵無、不在瑤池在石渠。気蓋松篁誰與競、令行螟■自相■。山光際水天無間、夜色通朝月不如。中有一翁鬚皓白、蕭然野鶴亦乗車。(『瀛奎律髄彙評』巻之十三)(湘水をさかのぼっていけば、土が見えなくて雪に覆われている。雪は水の上にはないけれど石橋の上に積もっている。雪の霊気は松や篁の枝葉を包み込み、他に邪魔だてするものはいない。雪が害虫をお互いに殺し合う。山は光り水も雪におおわれて天地は銀世界である。夜の雪の景観は朝になるまで輝いていて、月はそれに及ばない。雪景色の中に純白のひげをした老人がいるが、しょんぼりと物寂しげに一羽の鶴もまた車に乗っている。)秋幅では、舟上で笛を吹く唐子の上部に、うっすらと藍が刷かれて雲が流れてゆく様子が表現され、月の周りだけが濃い藍で彩られて夜明け前の薄暗さが映し出されている〔図10〕。また、画面に交互に刷かれた薄い代赭と藍の重なりは水面に照り返された月光を示している。明け方の静かな時間に、月光のもとに響き渡る笛の音が主題となっているが、秋幅の賛である「長安晩秋」の詩文には月のイメージが入っていない。これは、秋幅「江上笛声図」の左側に掛けられる冬幅「寒天夜明図」の賛「夜色通朝月不如」の中で、雪あかりと比較されている月光を意識して、秋幅に描き加えられたと考えられる。秋幅と冬幅をつなげて一つの画面として鑑賞すると、趙嘏と陳止齋による二つの詩文イメージが味わえるのである。一方、月に照らされて一面きらきらと輝いている銀世界を主題とした冬幅には、主役となるはずの月は描かれていない。冬幅と同じく明け方をテーマとした秋幅と一緒に鑑賞したときに初めて、遠方から雪山をひっそりと照らす月に気づくのである。また、冬幅の中ほどに描かれた四阿に目を転ずれば、秋幅の賛の「長笛一聲人倚樓」、すなわち高殿の欄干(画中の四阿)にもたれて秋の空に冴えわたる笛の音を聴いている気分に浸ることができる。このように寿老を中心に春夏と秋冬という循環する季節を屏風絵の離合山水のように鑑賞できるように工夫されているのである。秋幅と冬幅は月という縁のあるモチーフで隣どうしが繋げられている。そして、唐子吹笛のモチーフも秋のゆったりとした時間の流れを表すと共に、夜明け前の月明かりのもとで響き渡る音、光などの要素が洞庭秋月の詩情を喚起させるものであったからこそ、後に大雅の八景のレパートリーの一つに選ばれたと考えられる(注14)。

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