鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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4.「瀟湘勝概図屏風」における真景的な表現「瀟湘勝概図屏風」の壮大な円環構図は、大雅の山水画の中でも「真景図」を特徴づける構図であり、38歳の「浅間山真景図」(個人蔵)〔図11〕以降に大雅独自の様式となって表れてくる。「浅間山真景図」では画面右端の浅間山を軸として、前景の岩塊から浅間山の左側に小さく見える富士山に向かって回り込むように山々が反りあがり、鑑賞者の視線が富士山に誘導される。画面左側の筑波山も富士山に向かって斜めに角度がつけられており、富士山に視線が集まるような円環構図となっている(注15)。本屏風では画面真中の柳の巨樹に誘われた視線は、柳のある岬からなだらかな湖岸に沿って酒旗のはためく店(山市晴嵐)と、木立に囲まれた寺院(遠寺晩鐘)を通り、対岸の雪が積もった遠山(江天暮雪)に向かい、さらに中央遠景の舟上で笛を吹く唐子と秋月(洞庭秋月)、中景の飛雁(平沙落雁)、舟上で会話する漁夫(漁村夕照)を発見しながら右に移動し、はるか遠景の帆舟(遠浦帰帆)によってさらに右に誘導され、前景の竹林(瀟湘夜雨)の斜めに降り注ぐ雨によって中央手前に再び戻ってくる。すなわち、中央の巨樹が左に枝を広げる向きに従って、まず左に視線が動き、その背景に広がる湖岸に沿って右に移動してふたたび手前に帰ってくる構図である。巨樹を中心として左右均等に広がる、このようなゆるやかな円環構図は、「浅間山真景図」には見られないものであるが、管見のかぎりでは40歳の「比叡山真景図」〔図12〕にはじめて登場するのである。「比叡山真景図」には大雅の署名の上に「擬李営丘筆意」とあり、比叡山と琵琶湖の景色を北宋の李成の平遠山水に擬えて描くとしているが、実際には名所図会のようなものを参考にしていると考えられている(注16)。「比叡山真景図」では、画面の前景中央の高台に、葉を青々と茂らせる松の巨樹を配し、その元には「下休」の四阿が描かれている。松が左へと枝葉を広げる向きに従って視線が向かった先に「無動寺」が発見され、その左側の山の中腹に「上休」の四阿が見える。それらの名所の位置関係は「瀟湘勝概図屏風」における高台の四阿、酒旗を出す店、木立に囲まれた寺院とよく似ている。そのように両者を比較してゆくと、「比叡山真景図」で琵琶湖左側にひときわ大きく描かれた比叡山から、湖岸に沿って右へいったところの「矢橋」、さらに右奥の「勢田」の山並みまでは、「瀟湘勝概図屏風」の左側に突き出た雪山から、対岸の雪山、右奥の瀟湘夜雨の向こうの山並みまでに類似していることが解る。「比叡山真景図」の大雅の自題には、後日に三上孝軒が宗炳の臥遊の故事に倣ってこの画を壁にかけて楽しんでくれたら愉快であるとしており、孝軒と共に比叡山に登った実体験が藍色の空、山々や樹木の筆触にいきいきと表されている。そのように考えれば、「下休」、「上休」などの四阿は大雅や孝軒が立ち― 147 ―

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