1.「降誕」の予型と信心の促進:ロヒール・ファン・デル・ウェイデン作品15世紀初頭に北方で描かれた「アウグストゥスの幻視」の表現は、アラ・チェーリ教会の壁画を踏襲するものではなかった。時禱書の「聖母の祈り」中に描かれたラン― 153 ―⑮ 初期フランドル絵画における「アウグストゥスの幻視」─その図像と機能の変容について─研 究 者:関西大学、尾道大学 非常勤講師 今 井 澄 子序:問題の所在キリスト、聖母マリアなど、天上の存在をみたという記録は時代を問わず残るが、古代ローマの皇帝アウグストゥス(在位BC27−AD14年)のもとにも、聖母子があらわれたという。伝承によると、元老院議員たちがアウグストゥスを神として崇めようとしたため、皇帝は自分よりも偉大な王が誕生するかどうかをティブルの巫女に占わせた。すると、幼児キリストを抱いた聖母が「天の祭壇(アラ・チェーリ)」として顕現し、皇帝は跪いた(注1)。この奇蹟が起こったと伝えられるローマのカンピドリオの丘には、サンタ・マリア・イン・アラ・チェーリ教会が建てられた(注2)。「アウグストゥスの幻視」のエピソードは、中世後期に『ローマの驚異』(12世紀)、『黄金伝説』(13世紀)、『人間救済の鑑』(14世紀初め)などの書を媒介に広まった(注3)。これらの書にも挿絵が付けられたが、「アウグストゥスの幻視」を表わした最古の図像とされるのは、13世紀にアラ・チェーリ教会の穹窿に描かれた壁画である(注4)。壁画は16世紀に焼失してしまったが、模写は残っている〔図1〕。模写においては、皇帝と巫女が、雲の中に顕現する「天の祭壇」を建物の扉前で目撃している。「アウグストゥスの幻視」はアルプス以北にも伝わり、15〜16世紀初めに栄えた初期フランドル絵画にも描かれた〔表〕。筆者が調査したのは板絵を中心とする約20点の現存作品であるが、これらを■ると、15世紀前半と後半以降では図像内容が大きく変化したことが見てとれる。しかし、先行研究では、個別の作品分析こそあれ、その展開が通時的に考察されることはなかった。また、この図像は、初期フランドル絵画において独特の発達を遂げた祈祷者(寄進者)像とも深く結びついているように思われる。そこで本調査研究では、祈祷者像との関係も考慮しつつ、初期フランドル絵画の「アウグストゥスの幻視」の図像と機能の変遷をたどり、15世紀後半の変容の背景について検討した。以下では、この問題を理解する上で重要な作品二点を中心に考察する。
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