鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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2.図像と機能の変容:ティブルの巫女の画家作品ロヒールの図像は受け継がれたが、フランドルの「アウグストゥスの幻視」には、1470年代以降に新たな表現が見られるようになった。型式(フォーマット)上は、単独、もしくは二連画の片翼に表わされる点が新しい〔表:8〜11、13〜15〕。以下では、本題材を初めて単独の主題として表わしたティブルの巫女の画家による《アウグストゥスの幻視》〔図5、図6〕に注目し、図像の特徴と機能の変化について考察したい。ティブルの巫女の画家の《アウグストゥスの幻視》は、登場人物の容貌や服装が画家の師ディルク・バウツの《火の試練》(ブリュッセル、王立美術館)などと類似していることから、概ね、画家がルーヴェンのバウツ工房に在籍した当時、あるいは独立直後の1470年代頃に制作されたと推定されている(注19)。バウツの弟子にあたることからも、この画家はファン・エイクやロヒール作品にも親しんでいたはずだが、― 155 ―注文主を聖なる場面に参入させる配置は、当時としてはきわめて大胆である。それは、聖なる空間へ世俗の祈祷者を進出させ、調和させる表現を模索していた15世紀前半のフランドル絵画の試みの一つであった(注16)。この観点からは、ロベール・カンパンの《太陽の聖母子》(1430年代中頃)〔図4〕も興味深い。カンパン作品は、画面上部に聖母子の顕現、下に目撃する祈祷者を配する構図が「アウグストゥスの幻視」と類似しているだけでなく、ロヒールが「アウグストゥスの幻視」を描く際の着想源となったとも考えられるからである(注17)。聖人に祈る祈祷者像と「アウグストゥスの幻視」図像は、同時代人と歴史上の存在という違いはあるものの、ともに地上の人間を聖なる人物と対峙させるという課題に取り組んでいたと言えるだろう。以上に検討したように、ロヒール作品までの「アウグストゥスの幻視」は、『人間救済の鑑』などに基づき、キリストにまつわる伝承や予型を提示しつつ、聖なる人物と祈祷者の物理的・心理的距離を縮めることで、個人の信心を促す宗教的機能を有していたことがうかがえた。ロヒールの「アウグストゥスの幻視」は、模写が複数残ることからも、定型として工房や他の画家の参照源となったと考えられる〔表:3〜7〕。そして、その影響は『人間救済の鑑』(1450−70年頃)の挿絵にも見出すことができる(注18)。この挿絵には三人の男性はおらず、部屋の描写も簡略化されているが、室内から外に開かれた構図や、巫女、皇帝、聖母子の描写は、明らかにロヒール作品を下敷きとしている。つまり、ロヒールの「アウグストゥスの幻視」は、同書を飾るのにふさわしいイメージとしても受容されたのである。

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