鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
167/620

― 156 ―本作品では、幻視の場面は、建物に囲まれた中庭で展開する。中庭は広く、人々や動物が集うが、空に現われる聖母子の姿は小さい。皇帝は、ブルゴーニュ宮廷で好まれた織物をまとって中央に跪いており、皇帝と巫女の周囲には、男女のグループが立つ。では、この作品は、何故「アウグストゥスの幻視」を単独で扱い、中庭に群像を配する構図を選択したのだろうか。まず、「アウグストゥスの幻視」が主題となるということは、本作品が、降誕の予型を伝えるわけではないことを意味する。宗教的な役割が消滅したわけではないが、ロヒール作品に見られたような、私的な祈りを促す機能も薄い。本作品は、聖母子がきわめて小さく描かれるばかりでなく、信仰の文脈とは関係ないような登場人物やモティーフも多く、祈祷対象や祈りに集中することが難しいからである。さらに、図像的には、聖なる人物と祈祷者を上下に分けなくなったこの時期の祈祷者像との関連も弱まっている(注20)。スナイダーは、聖母が月を足の下にしき光をまとう無原罪の聖母として表わされること、および画面左側に立つ黒服の人々がルーヴェン大学の教職員と考えられる点に注目し、本作品が同大学関係者のために描かれたと主張した(注21)。それは、同大学の教授が、この時期に聖母の無原罪の御宿りを積極的に支持していたためである。また、右端奥の男性は、肖像画〔図7〕との類似から、ナッサウ伯およびブレダ領主をつとめたエンゲルベルト2世(1451−1504年)と同定される(注22)。エンゲルベルト2世は、ブルゴーニュ公国の顧問官として歴代の公に仕えた要人であったが、ルーヴェン大学の保護者でもあり、1473年には金羊毛騎士団員に任命された(注23)。しかし、スナイダーの論は、宮廷風の登場人物に対する説明は十分ではない。エンゲルベルト2世は、皇帝や巫女も含めた多くの人物が類型的にしか描かれない中で(注24)、ただ一人同定可能な人物であり、彼が身につけた金羊毛騎士団の飾りからは、団長をつとめたブルゴーニュ公との関係が強調される。また、彼の手前には、ブルゴーニュ宮廷で流行した短いジャケットや先のとがった靴を着用する男性たちが立つが、そのうちの一人は中央を指し示し、他の二人も幻視の瞬間を凝視している。そして、巫女の右後ろで幻視をみている女性たちや、奥の建物や敷地外にいる人々も宮廷関係者のようであり、彼らの存在も決して看過すべきでない。以上の点から、ティブルの巫女の画家作品のような図像が出現した背景として、広く宮廷社会の関心や要求も検討する必要があるように思われる。実際、貴族と大学関係者が集う場を表わすには、宮廷の方がより適切であっただろう。筆者は、ティブルの巫女の画家の《アウグストゥスの図像》の注文背景には、宮廷

元のページ  ../index.html#167

このブックを見る