鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 158 ―そして、このような場で本作品を前にした人々は、信仰を促されるというよりも、皇帝アウグストゥスが、ローマの領土を拡大し平和を達成したという歴史的側面に注目したのではないだろうか。その際、彼のもとに現われた幼児キリストは、皇帝よりも偉大でありつつ、皇帝を認め保護する存在として捉えられただろう。さらに興味深いことに、本作品で繰り広げられる場面は、ブルゴーニュ宮廷の人々が集った場を思わせるものである。本作品に表わされた平坦な中庭は、カンピドリオの丘の再現ではなく、同時代のブルゴーニュ宮や、フランドルの貴族の邸宅に基づいた表現と考えられる。たとえば、大きな中庭、回廊のある建物、建物の外に見える堀の描写は、ブルゴーニュ公の所有したヘントの宮殿などと類似しているからである〔図8〕。この特徴を確認した上で、幻視の起こる場が、ロヒール作品で描かれた寝室から中庭となったことに改めて注目したい。それは、場面が、私的で閉じたものから、人々が共有する公共的なものへと変化したことを意味する。当時の寝室は完全に私的な場所ではなかったものの、中庭は、大広間と並んで、大勢の訪問者が集うことのできる、いっそう開かれた場であった(注32)。以上の点から、本作品に描かれた幻視は、古代ローマの奇蹟でありつつ、ブルゴーニュ宮廷社会でも享受されうる出来事として示されていたことが推察される。それゆえ、観賞者たちは、皇帝とともに幻視を目撃する人々に自らを重ね、奇蹟を共有できることを誇ったのではないだろうか。さらに、当時の公国においては、本作品のような図像が望まれる社会的事情もあった。本作品の推定制作年は、エンゲルベルト2世が騎士団員となる1473年以降だが、この時期のブルゴーニュ公国の政治状況は、決して順風ではなかった。公国は長年、領域拡大を望み、隣国と絶えず争ってきたが、1473年には、シャルル突進公の王位要求が神聖ローマ皇帝に拒否され、その四年後には公が戦死する(注33)。エンゲルベルト2世は、直系男子の絶えたヴァロワ家を立て直そうと、シャルルの娘マリーの婚姻に尽力した(注34)。このような状況において、エンゲルベルト2世が、後に「ローマの平和(Pax Romana)」と呼ばれるまでの強力な覇権を握ったアウグストゥス帝のような、安定した公国の治世を願ったであろうことは想像に難くない。そして、本作品の観賞者は、自身が幻視を共有できるという特権を誇るばかりでなく、公国が聖母子の保護を受け繁栄する特別な存在であるというメッセージを、より臨場感をもって受けとめたことだろう。後に、ブルゴーニュのマリーの夫であったマクシミリアン1世の肖像の帽子飾りに「アウグストゥスの幻視」に由来する聖母子と祈祷者が表わされたことから

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