3.結論以上の如く、とりわけ山口地方の中世社寺建築は他地方に比して美術的かつ技術的な特色のある細部意匠が多数検出された。各特色の中には半割状挿斗や巻斗上端揃の実肘木などの鎌倉末期以来のものもあるが、多数の特色の登場と流布は15世紀後半の室町後期からである。この時期は守護大名・大内氏後期に相当し、山口全域に広がっている。応仁、文明の乱以前の意匠は上記のように希薄で、京(中央)系が強い。これは室町前半には、まだ地方的特色が微かであったか、あるいは京直系建築の影響が強かったことを物語っているであろう。注⑴ 山口香積寺仏殿を天正期に広島へ移築。⑵ 旧周防国清寺、慶長7年に滋賀県、園城寺(三井寺)に移築。⑶ 通常では根肘木下端に楔を打ち込む手法を採る。⑷ 『写真集 薦神社神門篇』薦文化研究所、平成11年5月。これによれば天文12年(1543)に大内義隆が造替するも荒廃、後に元和8年(1622)細川忠興が新造。宇佐御大工・満木喜右衛門尉尚久が棟梁となり、山口からも工匠を集めたとされる。⑸ 山口県山口市秋穂町西に所在。⑹ 山口県山口市古熊1丁目所在、現本殿は元和4年(1618)の建造であるが、前身建物の材を再用、宮殿は天文16年(1547)制作。蟇股の装飾も松竹梅の3種同時に揃えたモチーフとした古例の部類に属し、非常に珍しい。なお宮殿と同じ頃の制作と推定される。⑺ 山口県山口市所在。⑻ 外陣に付された3つの蟇股は前身建物(室町後期)の転用材。⑼ 岡山県美作市所在。⑽ 近藤清石『大内飯器』、山口県文書館所蔵、1912。主要参考文献1 田澤担・大岡實編『図説日本美術史』岩波書店、19732 天沼俊一、『日本建築史図録 鎌倉、室町、補遺』、思文閣、1973復刻さらに注目される事象は、大内氏の家紋の年代的な形状の変化が挙げられる。大内氏所縁の建築には必ずといってよい程、大内氏の家紋が付されている。室町前期には曲線を多用し、室町中期には、唐花菱外縁を付さないもの、室町後期には曲線から「折入り角菱」に変化を遂げている。筆者の悉皆調査、それに関する史料(注10)、美術品等から確実となった。このことは勿論、美術、工芸品のそれと軌を一にしていることが再確認されたと同時に、未だ建立年代が明らかでない建築にとって有効な判定として期待がもたれ、今後多いに注目される。― 6 ―
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