鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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4.特権的地位の誇示:ティブルの巫女の画家以降の作品ティブルの巫女の画家以降の「アウグストゥスの幻視」〔表:10〜18〕においては、宮廷の設定が強調されるようになる(注36)。15世紀末にブリュージュで描かれた「アウグストゥスの幻視」〔図9〕には、ゴシック様式の建物に囲まれた中庭に、皇帝と巫女、および、華やかな衣装を着た男女が見られる。この絵画は、当初は二連画の右翼を形成していた痕跡があるが、失われた左翼の表側には肖像画、裏側には注文主の紋章が描かれていた可能性が指摘されている(注37)。すなわち、この作品全体が、注文主のステイタスを示す役割を担っていたと考えられる。― 159 ―も、公と周囲の人々にとって、本題材が重要性であったことがうかがえる(注35)。以上の検討から、ティブルの巫女の画家の《アウグストゥスの幻視》が、型式、図像、機能とも、以前の作品とは大きく異なること、その背景には、宮廷社会の古代ローマへの関心と、ブルゴーニュ公国の不安定な情勢があったことがうかがえた。その後、フランドルの「アウグストゥスの幻視」は、王侯貴族が特権的地位を誇るという側面がさらに強くなっていく。そして、16世紀になると、メッヘレンでマルグリット・ドートリッシュ(1480−1530年)に仕えた画家ヤン・モスタールトが「アウグストゥスの幻視」を描いた〔表:15〜17〕。この時期の絵画の多くが「アウグストゥスの幻視」を単独の主題として取り上げ、場面を中庭で展開させている。さらに、貴族の肖像画の後景に描かれることもあり〔表:16、17〕、本題材が、座者の古代への知識や、特権的立場を誇示するものとしても機能していたことがうかがえる。最後に、アールトヘン・ファン・レイデンの《聖家族》(1535年頃)を挙げたい〔図10〕(注38)。この作品は、中央パネルに聖家族を配するなど、一見すると、従来の宗教画のようである。しかし、左翼では、エンゲルベルト2世の甥でナッソウ伯を継いだヘンドリク3世(1483−1538年)が、巫女に導かれるアウグストゥス帝として描かれている(注39)。エンゲルベルト2世は、ティブルの巫女の画家による《アウグストゥスの幻視》においては場面の目撃者の一人にすぎなかったが、やはり金羊毛騎士団の飾りをつけたヘンドリク3世は、祈祷者を装いつつ、皇帝アウグストゥスに匹敵する地位にあることを主張しているようである。ここに、「アウグストゥスの幻視」の機能のさらなる、野心的な変容を見ることができるだろう。

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