⑿ E. Panofsky, Early Netherlandish Painting, Cambridge, 1953, p. 278.⒀ De Vos, op.cit., p. 244.⒁ C. Harbison, “Visions and Meditations in Early Flemish Painting,” Simiolus 15, 1985, pp. 87−118, in ⒅ ランビュールの画家「アウグストゥスの幻視」『人間救済の鑑』36×29.5mm、ベルリン、美術図書館、Lipp. Cd. 1. fol.13. ランビュールの画家については、以下を参照。M. Smeyers, Flemish Miniatures from the 8th to the mid-16th Century, Turnhout, 1999, pp. 345−347(図版はp. 347, fig. 18).⒆ この作品については以下を参照。J. Snyder, “The Early Haarlem School of Painting,” The Art Bulletin, 42, 1960, pp. 39−61; J. Sander, Niederländishe Gemälde im Städel. 1400−1550, Mainz, 1993, pp. 67−86. ティブルの巫女の画家の他の作品と様式展開については、以下を参照。Snyder, op.cit., pp. 49−55; D. G. Scillia, “Three New Panels by the Master of the Tiburtine Sibyl,” Oud Holland, 94, pp. 1−10.■ Snyder, op.cit., p. 52.■ 他にも、エンゲルベルト2世の晩年を描いた肖像画が現存する(1500−04年頃、ロンドン、古物商協会)。なお、本作品の中庭奥に描かれた孔雀は、同家の紋章にも用いられている。Snyder, op.cit., p. 51.⒂ Panofsky, op.cit., p. 277; Harbison, op.cit., pp. 94−95.⒃ 初期フランドル絵画における祈祷者像の展開については、以下の拙稿を参照。今井澄子『聖母子への祈り−15世紀前半のフランドル絵画における祈祷者表現の研究−』博士論文、慶應義塾大学、2009年。■ ブルゴーニュのマリーの画家が挿絵を施した時禱書(オックスフォード、ボドレアン図書館、Ms Douce 219−20.)など。 J. G. Alexander, The Master of Mary of Burgundy, Oxford, New York, 1970.『薔薇物語』(1490−1500年頃、ロンドン、大英図書館、Hurley Ms 4425.)も、エンゲルベルト2世が注文したと推定されている。― 161 ―⑾ 本作品の窓には、神聖ローマ皇帝の双頭の鷲と思われる紋章が描かれているため、当時のフランドルを忠実に表わしているというわけではない。Blum, op.cit., p. 11. このモティーフは、フランドルの寝室にローマ的な性格を付与するために描かれたと思われる。part. pp. 91−94.⒄ 今井澄子「ロベール・カンパン作《太陽の聖母子》の図像系譜と成立背景をめぐって」『美術⒇ ただし、この時期は、複数の祈祷者がまとめて描かれる傾向にあり、聖なる人物と群像を同一空間に表わすという点では、本作品の表現と通底する。15世紀後半の祈祷者像については、以下を参照。今井、前掲書(2009年)、183−194頁。■ エンゲルベルト2世の生涯については、以下を参照。C. A. Serrure, Notice sur Engelbert II, comte de Nassau, Gand, 1862; P. de Win, “Engelbert II Graaf van Nassau-Dillenburg en Vianden, Heer van Breda,” Handelingen van de Koninklijke Kring voor Oudheidkunde, Letteren en Kunst van Mechelen, 95, 2, 1991, pp. 85−115.■ とくに、巫女の姿は、ティブルの巫女の画家の《神殿奉献》(ケンペン、カトリック教会)に登場する女性と類似している。Scillia, op.cit., p. 5. スナイダーは、画面奥に描かれた男女が、マクシミリアン1世とブルゴーニュのマリーの1477年の結婚を表わしている可能性もあると指摘した。しかし、彼らの姿は小さすぎるため、暗示的な表現に留まるように思われる。Snyder, op.cit., p. 52.史』第161冊、2006年10月、98−113頁。
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