鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 166 ―⑯ 室町後期における西湖図形成に関する研究研 究 者:東京大学東洋文化研究所 技術補佐員  鈴 木   忍一 西湖図の成立西湖図とは、中国の名勝地・浙江省杭州市の西湖を画いた勝景山水画である。中国における早期の作例として、元・荘粛『画継補遺』(中国美術論著叢刊本)巻上には、南宋・高宗(在位1127−62)の小景横巻「西湖雨霽図」が記される。南宋時代には杭州が国都となり、以降清代に至るまで多くの西湖図が画かれたことが、記録の上から知られる。現存最古の遺品である南宋光・寧・理宗三朝(1190−1264)の画院画家・李嵩の落款を有する「西湖図巻」(上海博物館、以下李嵩筆本)〔図1〕は、西湖全体を画く全景図である。また、西湖周辺の見どころを選んで画いた部分的景観からなる十景図があり、この十景に関する記録の初見は祝穆『方輿勝覧』(嘉煕3年=1239自序、1991年上海古籍出版社排印本)であり、巻一「浙西路・西湖」条に「平湖秋月、蘇堤春暁、断橋残雪、雷峯落照、南屏晩鐘、■院風荷、花港観魚、柳浪聞鶯、三潭印月、両峯挿雲」の十題が掲げられる。現存作例も宝祐年間(1253−58)に活動した葉肖巌の落款をもつ「西湖十景図冊」(台北・国立故宮博物院)が知られる。この作品の実制作期は明代浙派の影響下にあるとされるが(注1)、伝称される葉肖厳は李嵩とほぼ同時期の画家で、理宗朝の13世紀半頃には西湖図制作が広く行われるようになっていたことが推測される。清代以降、現存作例は多いが、南宋から明代にかけての西湖図遺品は全景図・十景図ともに限られている。一方、日本において西湖図が画かれた初例は、南北朝期・14世紀半頃に公家の邸宅に障子絵として画かれた「西湖十境」(頓阿『草菴集』巻第九・雑歌、延文4年=1359成)とされ、また、ほぼ同時代の禅僧・春屋妙葩(1311−88)の『智覚普明国師語録』(大正新脩大蔵経八十)巻第七・偈頌には、国籍は不明だが、「西湖図」に対する賛が記載される(注2)。一世紀ほどを経て雪舟(1420−1506頃)が入明時(1467−69)、西湖を訪れ扇面に「西湖図」を画き(天隠龍沢『翠竹真如集』二・賛)、帰国後も西湖の屏風画を制作したこと(朝岡興禎著・太田謹増訂『増訂 古画備考』引『追悼集』・季英説)が先学によって夙に紹介されている。その後、室町後期の16世紀以降、遺品が次第に増えていく。現存作品は明・弘治9年(1496)の款記のある秋月等観「西湖図」(石川県立美術館)を最古とし、その他に雪舟系として、伝・雪舟筆本(静嘉堂文庫美術館、これを原本とする江戸時代の勝哲模本が東京国立博物館に所蔵される)〔図5〕、如寄(?−1496−?)筆本(福知山市・天寧寺)があり、阿弥派として、

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