鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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3.莫高窟第217窟西壁供養者画像と題記敦煌莫高窟第217窟西壁龕下には男性と女性の供養者が描かれている〔図2〕。壁面の上端は角のため相当痛んでいるが、植物文様帯で縁取られており、供養者像の足より下の部分には黒白を交互にまじえたタイルの文様が切れ切れに残っている。紀年銘はないが、短冊形の榜題に書かれた文字(供養者題記)がいくつか残っており、本窟の造営年代の目安として重要視されてきた。― 179 ―れており、開元初期には刻まれた作例が散見されることから、すでに8世紀初頭にはある程度の地域にまで広がり、相当の流行をみていたと推定される。現地調査に基づき、供養者像とその題記について、ペリオの『敦煌石窟調査ノート』(以下、『ペリオ』)(注9)と敦煌研究院編『敦煌莫高窟供養人題記』(以下、『題記』)の記録を再検討しながら確認しておきたい。西壁龕下の中央に香炉と思われる器物の図が描かれ、それを中心として向かって右側(北側)に男性、左側(南側)に女性の供養者が並んで描かれている。供養者像の列は西北隅の土壇南面・東面、西南隅の土壇北面・東面にまで続いている。これら供養者画像の現状と題記の検討結果を向かって右側の先頭から末尾へ、つぎに左の先頭から末尾へと順次記すことにする。先頭の画像から判断して、各人物像の前方に位置する題記をその人物の榜題とみなす。なお、『題記』では「ペリオ筆記により補う」という表題の下に5人分の題記を列記している。これは研究院が調査した時期にはすでに文字が見えなくなっており、位置を探し当てられなかった文字であろう。『ペリオ』は題記の位置を何番目の供養者像のものか明記しない。《向かって右側(北側)》⑴ 第1身:田相袈裟を着けた比丘立像。柄香炉を持つ手、眼と口の描線が見える。榜題は現状観察では「…法(?)陳(?)…」のように見えたが、『ペリオ』に「安國寺沙門陳(?)…」と記すものに当たると推定される(注10)。⑵ 第2身:淡緑色の長袍を着けた男性立像。榜題は判読不能。⑶ 第3身:淡緑色の長袍を着けた男性立像。榜題は輪郭すら定かでない。⑷ 第4身:焦げ茶色の長袍を着けた男性立像。榜題に文字の痕跡が見えるが判読不能。『題記』によれば「……□(副)尉右□(毅)衛凉州番/……將員外□(置)同正……/緋魚袋上柱國恩■(『ペリオ』もほぼ同様)。⑸ 第5身:白色の長袍を着けた男性立像。榜題中に立偏の文字が読み取れる。  『題記』によれば「翊衛 □表」(『ペリオ』は□を木とする)。

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