鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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5.供養者画像の下層画像の存在さらに、供養者画像の部分について考慮すべき問題を指摘したい。それは、現在の表層の下に別の画像が認められることである。西壁龕下から南北の土壇側面に至る一連の供養者画像には、全面にわたって細かい剥落箇所が点々と散らばっている。壁土が露出している部分もあるが、表層剥落箇所には焦げ茶色の彩色がかなりの範囲にわたって認められる。窟内の写真撮影が許可されないため、現地で取ったおおまかなメモ書きで示すことしかできないが、焦げ茶色の下層が見える箇所に斜線を書き入れたのが〔図5、6〕である。肉眼で観察した限りでは、男性像の第2・― 182 ―瑗」に当たる可能性があり、これもまた第217窟の建造を8世紀初頭に置くことを補強するという(注13)。また、壁画の諸要素の考察からも、本窟壁画が8世紀初頭頃の初唐末から盛唐初期にかけての作品であることが指摘されている(注14)。しかしながら、供養者像の題記についてはペリオの記録を含めて再考する余地があると考える。まず、男性第2身から第8身までの題記の文字は現状ではほとんど見えなくなっており、『題記』にもこれらの榜題として姓を含む文字は記録されていない。しかし、『ペリオ』には題記中に陰とは別の姓を記録している。『ペリオ』の図183は「龕前壁(文様帯の下)、女性供養者の榜題」と題して「□安国寺沙門陳(?)…」、「上柱國劉懐念」、「上柱國德暢」という三つの榜題の漢文を記録し、図184は「龕前壁(文様帯の下)、男性供養者の榜題」と題して「妻南陽張氏供養」など五つの女性名の榜題を記録しているが、内容から見て、図183と184は題名の男性と女性が本来逆であるべきなのを(活字本編集時に)誤記したと推測される。『ペリオ』本文には「女性供養者の列の榜題中の文字を書き留めた(図183)。男性供養者の列の榜題(図184)、(以下略)」と記されているが、図183と図184を入れ替えれば女性と男性の齟齬は解消する。いずれにせよ、龕の前壁、つまり西壁仏龕下の供養者像列のことを述べている文であり、『題記』に照合できる銘文を除くと、「上柱國劉懐念」、「上柱國德暢」はおそらく男性像第2身と第3身に当たる可能性が高い。もしこの推測が正しければ、先頭に近い位置に陰氏ではなく劉氏が描かれていることになるし、そもそも題記に「陰」字が確認されていない。また、女性像の題記には第6身「□(許)新婦令狐氏」、第7身「□(袁)新婦令狐氏」、第8身「□(顔)新婦張氏」があり、『ペリオ』にはさらに「張(?)新婦宋氏」が記録されている。「新婦」に冠される字が嫁ぎ先の姓であるとすれば、これらはいずれも陰氏の妻ではないことになる。

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