1、映像の概要調査した映像は、16ミリフィルム82本、8ミリフィルム1本の合計83本で、このうち16ミリフィルム5本は、フィルム自体の劣化のため映写できなかったが、その他の77本は、中に数本、劣化が進行して部分的な映像の乱れが見られるものの、総体的には映写に十分耐え得る状態であった。1本のみカラーフィルムで、残りすべてがモノクローム、メーカーが判明したのは16ミリフィルム50本で、48本がアメリカのコダック、残る2本が神戸の南桃商会と、東京の六桜社であった。― 189 ―⑱ 16ミリフィルム「cine-memo」に見られる吉原治良の造形的関心研 究 者:大阪大学総合学術博物館 招聘准教授 加 藤 瑞 穂はじめに戦前戦後を通じて常に前衛的な表現を追究した画家・吉原治良(1905〜1972年)が1930年代に多数の映像を撮影していたことは、これまでほとんど知られておらず、調査研究の先例も見当たらない。確かに、吉原が戦前から絵画の他に写真や映像に関心を寄せていたことは、すでに尾崎信一郎氏による論考で指摘され、特に写真については意義深い考察がなされている(注1)。また吉原自らが撮影した写真自体は、吉原の1930年代に着目した展覧会でたびたび展観され、一般の目に触れる機会があった(注2)。しかし映像については、8ミリフィルムや16ミリフィルムといった、現在では映写が困難な記録媒体であったために、芦屋市立美術博物館に吉原治良旧蔵の資料として80本余りというまとまった点数が寄託されていながら、長らくその調査が進まず、撮影された内容すら把握できなかったのが実情である。この度の助成により初めてこれらの映像を実見し、撮影された対象を確認することができた。本稿ではその調査に基づいて、特に注目すべき16ミリフィルム「cine-memo」を取り上げ、その分析を通して吉原の絵画作品に通じると思われる造形的関心について考察していきたい。これによって、吉原の創作過程を探る上で新たな一面を浮かび上がらせると同時に、今後吉原作品を研究する際に、見過ごせない着眼点をも提示し得ると考える。これらの撮影年は、映像の内容とフィルムを収める箱や缶の表記から推定してすべて1930年代であり、特に1930年から33年が全本数の約6割を占める。また撮影者は、8ミリフィルムに限り、映写機を所有していたのが吉原の叔父にあたる吉原徹郎であり、彼が撮影したものを吉原が譲り受けたであろうことが、ご遺族への聞き取りによ
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