鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 194 ―身近な事物をモティーフにしながら、クローズアップの多用や光と影のコントラストの強調、あえて焦点をぼかした撮影、幾何学的形態の配置を意識したショット、そしてそれらの間に何らかの物語的な文脈を生まないカット割の工夫によって、モティーフの日常的意味を捨象し、造形性を全面に押し出している点である。それでは、こうした映像製作は、吉原の絵画を考える際にどのような意義を持つだろうか。その検討にあたって重要な手がかりとなるのは、当時吉原が映像と同時期に撮影していた写真である。それらの中には、シュルレアリスム的イメージが顕在化していく1930年代初頭の絵画と同一のモティーフを撮影したショットや、構図が近似したショットが複数存在している。すでに幾多の研究者によって論じられているように(注7)、吉原が絵画を構想する際に写真を一つの重要なイメージの源泉と位置づけていたことは間違いない。これまで両者の呼応の作例として挙げられてきた《帆柱》(1931年〔1933年頃〕、神奈川県立近代美術館蔵)や《上高地》(1933年頃、芦屋市立美術博物館蔵)等の他にも、例えば《手と朝顔》(1930年頃、芦屋市立美術博物館蔵)〔図10〕のような注目すべき作例がある。本作は、浜辺と思われる場所で手に絡まる朝顔を描いた作品だが、現実にはあり得ない情景であり、そのイメージを生み出す際に活用されたと思われるのが、手に竹ひごを絡ませた写真〔図11〕である。ここで吉原は、手に細い線状のものが絡まるイメージを描くにあたって、朝顔よりも造形しやすい竹ひごを使い、予め構図を検討していたことが推測されるのである。すでに指摘されている《帆柱》〔図12〕に関しては、今津の漁港で何枚も撮影された船荷のクローズアップ写真〔図13、14〕との関連が疑い得ないが、留意すべきは、それらの写真が単なるスナップショットとは言い難い点であろう。帆柱にくくり付けられた帆やロープを、モティーフをすぐには特定できないほど拡大して撮影した写真は、構図に破綻がなく、また光と影のコントラストや陰影の階調も考慮されたことが如実である。そこには、帆やロープを忠実に記録しておくというよりも、その造形的特質をいかに印画紙の枠内に定着させるかに腐心した吉原の姿勢が端的に示されているにちがいない。とりわけ注目すべきは光の強度であり、直射日光に曝された対象は、明暗の差が通常よりも顕著になるがゆえに、対象特有の質感が希薄になる。かつて尾崎氏は吉原の1930年代初頭の絵画について、これまでデ・キリコの絵画との比較で語られてきたが、前者は後者にある虚無感や神秘性とは無縁であり、むしろ露出過多の写真の白々としたイメージに近いのではないかと述べ、正鵠を射た視点を提示した(注8)。実際《帆柱》に感じられる非現実性は、デ・キリコの作品のようにモティーフ自体の形而上学的な意味によって生み出されるのではなく、それらの重量感や質感

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