鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 195 ―が薄められ、白の支配的な造形へと置換されている点に依拠するのではないか。さらに尾崎氏の研究で興味深いのは、1930年代半ばの幾何学的抽象の作品群に見られる、直線的で平坦な形態と、輪郭が曖昧であったりグラデーションがある楕円の併置されたイメージ〔図15〕は、顕微鏡や写真機等の光学器械をのぞきこみ焦点を合わせる過程で得られるヴィジョンと類縁性を持つとする見解である(注9)。もちろん当時の絵画は、吉原が主に洋書から学び取った同時代のイギリスの幾何学的抽象絵画を抜きには語れないが(注10)、日常的に操作していた写真機や映写機から得られる非現実的ヴィジョンを取り入れることで吉原は、洋書図版の単なる参照に終わらない、吉原個人の表現の獲得を目指したと考えられる。おわりに上記で取り上げた、吉原の絵画制作における写真の果たした役割は、映像に関しても基本的に同様と思われ、肉眼では捉え難いヴィジョン、すなわちクローズアップやコントラストの強調による非現実的な像を得る源として活用を試みたと推測される。ただし写真と映像とは異なるメディアであり、やはり映像特有の像の在り方を吉原自身が意識しなかったとは考え難い。何をおいても映像には動きがあり、連続性がある。それは、対象を専ら記録する場合は、写真よりも現実に近いヴィジョンを再現するだろうが、吉原のように造形的関心を持って撮影し、しかも後で編集するならば、実は写真以上にたやすく非現実的なヴィジョンを創造し、提示するメディアになり得る。なぜなら、撮影されたフィルムはどの部分でも物理的に自由に抜き取ることができ、また互いに全く無関係なフィルムを如何様にも繋ぎ合わせられるからである。要は、コラージュなど像の加工が写真よりも技術的に容易なため、現実とはかけ離れた文脈を作り上げる自由さの度合いが高いのである。それゆえ、たとえ鳥や魚といった現実的なモティーフが登場しようとも、映像に脈絡がなければ、現実とは異なるヴィジョンが生成されることになる。それと同時に、空間の連続性や一貫性も解体されてしまい、映像そのものが非現実的な空間性を帯びるに至る。ここで、映像を多数撮影していた吉原の1930−33年頃の活動を改めて振り返ってみよう。すでに述べたように当時吉原の絵画は、1930年代初頭からシュルレアリスム的作風が支配的となっていたが、この時期は実は、作品を一度も公に発表していない。1928年に大阪朝日会館で初個展を開いたが、翌年に藤田嗣治から「他人の影響がありすぎる」点を指摘されてから、1934年の第21回二科展に初出品作5点すべてが入選するまでは、吉原の画業の中でもっとも長い沈静の時期だったのである。1934年は、二

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