注⑴ 鄭銀珍「朝鮮陶磁と浅川伯教」『特別展 浅川巧生誕120年記念 浅川伯教・巧兄弟の心と眼― 208 ―⑸ 富本憲吉「拓殖博覧会の一日」(1912年)『富本憲吉著作集』五月書房、1981年、472頁。⑹ 柳宗悦「彼の朝鮮行」高崎宗司編『朝鮮を想う』筑摩書房、1984年、66頁。⑺ 柳宗悦「陶磁器の美」『朝鮮を想う』、82頁。⑻ 浅川伯教「壺」『白樺』13年9月号、1922年、56頁。⑼ 浅川伯教「朝鮮古陶器の研究に就きて」『第五十五回講演集』啓明会、1934年、27頁。⑽ 前掲、柳宗悦「陶磁器の美」、89頁。⑾ 浅川伯教「李朝陶器の価値及び変遷に就いて」『白樺』13年9月号、1922年、7頁。⑿ 浅川伯教「浅川伯教自筆履歴書」1929年。⒀ 水尾比呂志『評伝 柳宗悦』筑摩書房、2004年、269、483頁。⒁ 柳宗悦「全羅紀行」『工芸』82号、1938年、16頁。⒂ 鳥取民芸協会発行『吉田璋也─民芸のプロデューサー』牧野出版、1998年に詳しい。冨永静朗⒃ 浅川伯教「咸鏡北道明川の窯」『茶道雑誌』4月号、1958年、82頁。⒄ 浅川伯教「浅川伯教自筆年譜」年度不明、未発表。⒅ 浅川伯教「朝鮮の窯─谷城の窯について」『淡交』通巻第101号、1956年、57頁。⒆ その特徴については、前掲、鄭銀珍「朝鮮陶磁と浅川伯教」で詳しく論じた。⒇ 浜口良光「朝鮮工芸概観」『工芸』69号、1936年、1〜7頁。■ 前掲、鄭銀珍「朝鮮陶磁器と浅川伯教」で詳しく論じた。■ 前掲、浅川伯教「朝鮮の窯─谷城の窯について」57頁。■ 以下、窯主の息子白雲玉氏らからの聞き取り調査、2010年1月、10月、11月による。■ 高敞文化院長・李起華氏、地域住民の聞き取り調査、2010年1月、11月による。■ 浅川伯教『朝鮮古窯跡の研究によりて得られたる朝鮮窯業の過去及び将来』中央朝鮮協会、実でありつつ、陶工たちの生きる道を切り開こうとした。民芸運動の先駆ともいうべきこうした活動は、浅川伯教の業績を考える場合にも、さらに、日本におけるその後の民芸運動の展開に対しても、見逃すことのできない重要な意味をもつものと考える。1934年、25頁。─朝鮮時代の美』美術館連絡協議会、2011年、12〜21頁。⑵ 松井健『柳宗悦と民藝の現在』吉川弘文館、2005年、45頁。⑶ Bernard Leach, Beyond East and West: Memoirs, Portraits & Essays, Faber and Faber, 1978, p. 76.⑷ 鈴木禎宏「アーツ・アンド・クラフツ運動から民芸運動へ─バーナード・リーチの寄与」『アーツ・アンド・クラフツと日本』思文閣出版、2004年に詳しい。『民芸如花─三宅忠一』日本工芸館、1981年、11頁。
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