鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 215 ―た一次写生を基に、杏堂に贈るため、再び二カ月後に描いたことは、十分にあり得ることと考えられる。同じ図を二枚描くことは、文晁では何例か知られているという(注15)。「文晁巻」所載の観音図と抱一筆「日課観音図」と比較検討すると、文晁画の方が面長で、抱一画の方が丸顔でふっくらとした顔の形をしており、同じように、体つきも抱一画の方が、肉付きよく描かれる傾向がみられる。しかし、画面向かって右下に日付を有する点や衣をまとう姿は非常に酷似していると言える。特に、次の三点の相違点、①頭巾の左端〔図9−1,2〕、②体躯の右側〔図10−1,2〕、③左後方に広がる衣文線〔図11−1,2〕に注目して比較検討を進めていきたい。一つ目の頭巾の衣文線に着目すると、文晁画ではあまり変化なく垂下する線となっているのに対し、抱一画では二つの波をもつ曲線となっている。二つ目の体躯の右前の衣文は、文晁画では上から下へとほぼ垂直に降りる線が目立つが、抱一画では体を包み込むような線となっている。三つめの左後方に広がる衣文線は、文晁画では手前から後ろへ回り込む線で描かれているのに対し、抱一画では衣文の中ほどから出てきた線が後方へと回り込み、S字を逆さにしたような線となっている。寿福寺等に所蔵される伝実朝・北条政子筆の日課観音図と比較すると、日によってかなり面貌や衣文の描写に変化が見られるが、先述した文晁の日課観音図にみられる三点の特徴は、縮図に書きこまれた通り、十日のものと一致する。すなわち、頭巾の衣文線は比較的まっすぐに降り、体躯の右前の衣文は下へと降りる直線であり、右後方へと広がる衣文線は、手前から右へと回り込む線となっている。一方、抱一の日課観音図にみられる特徴は、現在、寿福寺に所蔵され、文晁が見たと考えられる四図というよりも、現在個人蔵で、「九日」の日付を有する日課観音図に近いものである。頭巾が二つの波をもつ曲線となる点、体躯の右前の衣文が、体を包み込むような線となる点、左後方への衣文線が逆S字になる点、以上三点が一致する。ところで、東京大学総合図書館本の写本には、日課観音図の裏書についても記述がある(注16)。「裏書 相州鎌倉郡亀谷山金剛寿福寺頭桂蔭庵什物有 観世音菩薩小画像其数六幅内五幅各傍書日/数曰九日曰十日曰十一日曰十三日二十九日也其曰同信仰/菩薩書十三日之一幅請拝受之所遺五幅再新加/漂装以謝庵主/宝永四年丁亥仲夏下院/今在一幅今大路/式部大輔家」とある。内容を確認すると、鎌倉の寿福寺に観音菩薩の小画像が六幅あり、そのうち五幅はそれぞれ傍らに九日、十日、十一日、十三日、二十九日の日数が書きいれられており、

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