2.在英作品調査在英作品のうち、報告者は大英博物館所蔵作品と個人所蔵作品を調査した(注4)。大英博物館での調査のうち、特記すべきは《大坂城内》と《五重塔》との比較だ〔図1、2〕。前者は、1867年の制作であることがILNからわかる。その様式、紙質などから見て、その一次写生ではないにしても、同時期に描いたことは疑いない。線質の細さは来日以前の様式と合致し、かつ間延びした印象のある空間把握は来日後の様式に通じる。この作品を基準とすると、後者は若干様式的な差異が見てとれる。弱々しい描線、やや形態がくずれがちな点などはワーグマンの来日以前の様式とも共通する。しかし、陰影を示す斜線の密度、鉛筆の筆圧等を見ると、既に指摘されているとおり、義松の浅草寺を描いた作例〔図3〕に近似する(注5)。作者同定はともかく、二作品の様式が接近する事実に注目されたい。さらに、同館所蔵《妻カネ》〔図4〕も興味深い作例だ。肖像画ということもあろうが、より丁寧な描線を重ねつつ、時に奔放に動く描線も認められる。その描線の質、そして数点あるカネ像の中ではその相貌がワーグマンの定型化した女性像の顔立ちに近似することからも、妻を描くことにもこなれていない頃、来日後早い時期の作例と推測される。の技術・作風の変化を促した要因がその頃の作例に痕跡として認められると予想される。そこで、現在知られる在英作品の調査を思い至った次第である。あわせて、同地では個人所蔵の作品を調査することがかなった。所蔵する作品の多くは現当主の祖父にあたるチャールズの兄に直接贈られたもの、あるいは二人の弟セオドールに贈られたものであることから伝来も確かだ。同家で調査した作品のうち、数点の素描は制作年が明らかとなる点で貴重だ。1872年に京都で開催された博覧会を取材するため、ワーグマンは横浜から京都まで東海道を旅したが、このときに肉筆の手記をあらわした(注6)。本作はその附図にあたり、支持体である紙は実見では和紙で、ここに鉛筆、筆、墨を用いて描いている。小さな画面ではあるが流麗にのびた線が見てとれ、その特徴は先述の来日後の様式と重なる〔図5〕。一方で、船を漕ぐ船頭を描く図〔図6〕は、主題からしても来日以前の中国で描いた構図を連想させ、来日前後の連続性を示す。次に、全50図からなる《スケッチブック》を見てみよう。巻末に近いところには雲海を描いた図があり、そこには1876年の制作を示唆する「Nov. 30. 76.」という書き込みがある。雲海以外は人物像が多く、必ずしも様式的に一致するとは論じられないが、描かれた内容から判断して、少なくともそれ以前、明治初頭と推定される。とても瑞々― 12 ―
元のページ ../index.html#23