鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
235/620

― 224 ―㉑ 絵画と工芸における意匠の交流─室町時代の土佐派を中心に─研 究 者:九州国立博物館 研究員  鷲 頭   桂はじめに室町時代の土佐派研究はこの四半世紀の間に大きな進展を見せている(注1)。作品分析や史料の発掘において多くの成果が積み上げられ、それによってわれわれの土佐派理解は一段と深められた。特に絵巻や仏画などの絵画をめぐる調査研究はめざましい。また、土佐派の絵師が工芸の絵付けなどの注文に応えていたことも知られている。土佐派のこうした職域の広さについて、玉蟲敏子氏は、奈良・平安期より絵画、器物の下絵制作や彩色など幅広く手がけていた宮廷絵所の活動を継承したものと指摘されている(注2)。さて、本報告は、この工芸制作に対する土佐派の関わり方について考察しようとするものである。土佐派が実際に手がけたという作例は確認されていないが、同時代の日記には制作の記録が散見される。前半では、そのような工芸の作事について言及する史料を抽出し、器物の種類や目的、注文主などを分析する。後半では、土佐光信筆と伝承される《芦屋釜下絵図巻》などの作例をあげながら、土佐派の図像がいかにして工芸のなかに取り込まれていったかを検証する。なお、工芸の問題を扱うにあたっては料紙装飾にも目配りすべきところではあるが、本報告には含まなかったことを予めお断りしておく(注3)。一、十五─十六世紀の土佐派における工芸制作室町時代の土佐派の活動は、同時代の他の絵師に比べて詳しく辿ることができる。だが、工芸に関しては、作品が残る絵画とは異なり、当時の日記類が殆ど唯一の情報源となる。そこでまず、それぞれの記録を通して、土佐派の絵師がいかなる器物を、どのような目的や状況で制作したのかを見ていく。①応安元年(1368)4月1日 『鹿苑院殿御元服記』 絵所行光、足利義満元服の櫛手巾に図す。②応永14年(1407)8月18日 『教言卿記』 土左将監行廣、賀安の直垂に松竹鶴の図様を描く。③応永22年(1415)11月21日 『応永大嘗会記』絵所、称光天皇の大嘗会標山を調進する。絵師は左近将監光久。

元のページ  ../index.html#235

このブックを見る