― 225 ―④永享2年(1430)4月28日 『満済准后日記』絵所両人、後小松上皇の室町第行幸のため、嶋破子折以下数十合を制作する。⑤永享9年(1437)9月20日 『看聞日記』 後花園天皇の室町殿行幸に献じる盃台などの風流作り物の制作について、絵所が寸暇を得ずと返答する。⑥永享10年(1438)3月29日 『看聞日記』絵所土佐将監、宮中の大船一艘に彩色する。⑦寛正6年(1465)6月2日 『親元卿記』 土佐弾正、能阿弥の絵様をもとに足利義政の盃台に描く。主題は「みな月に岩もる水をむすはすは扇の風を忘ましやは」の和歌。下地は番匠に命じる。⑧文正元年(1466)6月21日 『親長卿記』 六角絵所と春日絵所、後土御門天皇大嘗会の標山彩色の受注を巡って争う。⑨長享2年(1488)12月15日 『実隆公記』 土左将監、足利義尚の盃台の下絵について、三条西実隆に書面で相談する。⑩長享2年(1488)12月15日 『実隆公記』紙背文書(光信書状) 土左大夫将監光信、足利義尚の盃台の絵様について尋ねた書面を海阿に託し、実隆に相談する。⑪永禄6年(1563)2月2日 『御湯殿の上日記』卿部大夫から貝絵が届く。さらに二つ注文する。⑫永禄8年(1565)正月3日 『御湯殿の上日記』とさ所から、誠仁親王の羽子板と貝桶が届く。注文の内容は、盃台など饗宴の飾り(④、⑤、⑥、⑦、⑨、⑩)や標山(③、⑧)、染織品(①、②)、遊興具(⑪、⑫)がある。以下、主に盃台と染織品について見ていくことにする。㈠ 盃台上記史料のうち、盃台に関する記録が頻出する。盃台とは花鳥などの飾りを施した作り物の台で、杯を置いて用いた(注4)。史料⑤には、後崇光院が後花園天皇の室町第行幸のために盃台を「絵所」に注文したところ、「絵所」が「寸暇を得ず」と伝えてきたと記されている。この「絵所」が誰かは定かでない。だが、この時の会所飾りを能阿弥が行ったことがよく知られているように、行幸の準備は室町第や宮中でも
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