― 229 ―た、梅に鶯の図像〔図7〕は《初音蒔絵火取》(神奈川・東慶寺蔵)〔図8〕にも見られ、《初音蒔絵調度》が伝統的な図様を用いていることを示す一例として指摘されている(注13)。これまでにも多角的に研究されてきた本調度の意匠であるが(注14)、以下では前述の火取以外の図像の源泉を辿ることにする。まず、先行図様の利用が顕著なのが、西北の御殿の景である。この場面では、庭に面した室内に琴や香炉、褥などが配置され、御簾の外には梅花が咲く〔図9、10〕。これらのモティーフは絵画でもしばしば描かれ、永正6年(1509)の作である土佐光信筆《源氏物語画帖》初音帖(ハーバード大学美術館蔵)〔図11〕にも既に出揃っている。さらに、この光信画帖よりも画面構成が《初音蒔絵調度》に一段と近いのが、土佐光吉の画風が色濃い《帚木図屏風》(個人蔵)〔図12〕である(注15)。物語の舞台は異なるものの、《帚木図屏風》における吹抜屋台の屋敷の構図、琴や樹木の配置は、旅眉作箱〔図9〕や十二手箱〔図10〕のそれと近似している。また、《帚木図屏風》第一、二扇には築地塀が斜めに配され、庭に二本の楓がある。旅眉作箱〔図9〕でもほぼ同じ位置に竹垣、梅、松が配される。塀や樹木の種類こそ異なるが、それらの配置に共通性が認められるのである。ところで、この西北の御殿の景は未解決の問題を抱えている。旅眉作箱側面〔図13〕などに施されている銀の金貝が、何を表わすのかということについて、解釈が分かれているのである。物語中に照応する記述がなく、暁の明星とも時刻を暗示する月とも言われている(注16)。この金貝を理解するための手がかりが、《帚木図屏風》第二扇にある。金雲と楓との間に姿を見せる銀の月がそれである。おそらく、このような月が、本調度の手本となった先行画像にも描かれており、金貝はそれを継承したものであろう。このように《初音蒔絵調度》の意匠は、先行作例の図様を取り込みつつ、器物の形や主題に合わせた修正が加えられて作られたと考えられる。しかしながら、《帚木図屏風》が《初音蒔絵調度》の直接的な手本であるとは些か考えにくい。抑も《帚木図屏風》の題材となった帚木帖の木枯らしの女と通称される女性は、浮気な女として回想される人物である。一緒になるには頼りない女とまで評されており、婚礼調度の典拠として悦ばれたはずもない。おそらくは、類似した初音帖の作例が存在し、その図様が《初音蒔絵調度》へ伝わったのであろう。ほかにも、伝土佐光吉筆《源氏物語図屏風》(出光美術館蔵)の初音の場面〔図14〕には、奥行二間の室内に源氏と明石君が向かい合う様子が描かれている。ここにも琴や几帳などが配置され、斜め上方から見下ろした構図は、鏡台背面〔図15〕と似た特徴を備えている。
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