1.作品の概要大雲寺碑像は高さ283cm、幅86cm、厚さ26cmで、35cmの亀趺の上に据えられている。碑陽は上下に大きく五段に区切り、最下段には銘文を刻み、その上部に釈■の涅槃に関わる情景を表す〔図1〕。― 236 ―㉒ 七世紀後半期から八世紀初頭における東アジア舎利信仰関連遺品の比較検討研 究 者:大阪大谷大学 文学部 専任講師 田 中 健 一はじめに現在山西省芸術博物館に保管される大雲寺涅槃変碑像(以下、大雲寺碑像)には、純陀による供養から舎利八分、舎利塔起塔までの釈■の涅槃に関わる諸景が碑の表裏に表されている。付された銘文により、則天武后期の天授年間(690−692)に造像されたこと、また「奉為聖神皇帝」という文言が得られる点も注目される。七世紀後半期から八世紀初頭における東アジアにおける舎利信仰に関わる造型遺品を取り上げることを課題とする本研究では、大雲寺碑像を主な対象としたい(注1)。本碑像については、既に多くの研究の蓄積がある(注2)。1956年には水野清一・日比野丈夫氏によって、また1959年にソーパー氏によって概要が報告された。本碑像の研究で最も重要なのは1981・2年の安田治樹氏による論考であり、そこでは図像の詳細な検討がなされ、大雲寺碑像、敦煌石窟第332窟という則天期の涅槃経変が摩耶夫人への説法という主題を含むことが、則天期の動向に関係することが推定された。主題の特徴については、その後稲本泰生氏が議論を発展させ、中国における「孝」の展開との関連を指摘された。また、李静傑氏は1997年、大雲寺碑像に弥勒像が見えることに注目し、やはりこれを則天期の動向に関連付けて理解され、同様の観点は近年刊行されたソニア・リー氏の論著の中でも論じられている。以上のように、大雲寺碑像については、これまで摩耶夫人への説法という主題、弥勒如来が涅槃碑像中に表現される背景という二点が主に議論の対象となってきた。本研究では、特に後者の議論に学びつつ、弥勒と涅槃変碑像との関わりについて一定の理解を得ることを目標としたい。まず、図様部分最下部は、釈■が純陀による供養を受け、最後の説法をする場面が表される。中央には蓮華座上に頭光、身光を負う釈■如来が表され、右手を与願印として結跏趺坐し、その左右には仏坐から伸びた蓮華座上に二比丘二菩■が侍立し、さらにその左右に蓮華座上の菩■像、天部像を配し、下部には仏を供養する俗人、比丘
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