鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 237 ―が配される。釈■如来正面、釈■に向って跪拝する人物は純陀、に比定される。その上部は涅槃である。沙羅双樹のもと、牀座の釈■が右肩を露わにして右手を枕に、左手を体側に添えて横たわり、牀座の前には三人の比丘、気絶する阿難の姿がみえる。牀座の背後では五人の比丘がうなだれ、釈■の足元に触れる比丘は大■葉を表す。また、大■葉の背後の戟をもつ力士をはじめ、在俗の信者、獅子など、釈■の涅槃の場に参集した多くの人物動物が描かれ、沙羅双樹の左右には飛天も配される。碑の上半部は、螭首の部分に須弥山を表し、その下を四か所に区切り、右上から時計回りに摩耶夫人の哀慟・金棺出現・葬送・荼毘がそれぞれ表される。 須弥山は峰を連ねた山脈の中央に茸雲状にそびえ、須弥山中ほどには四天王のうち三体を配す。その頂上部には三つの宮殿がおかれる。この宮殿を忉利天とするか、兜率天とするかは意見が分かれるが、宮殿から旋回して降下する階段を降りる女性像三が、忉利天から下界に下る摩耶夫人を表しているとみるならば、忉利天と考えるのがより妥当性が高いように思われる。続く場面では摩耶夫人が棺にすがって哀慟し、棺の蓋をあけて釈■が姿を現し、仏前に跪く摩耶夫人に説法する景が表現される。金棺の周囲には十人の比丘が見られ、摩耶夫人には二人の侍女が従う。摩耶夫人の傍らから雲が立ち上り、その上に見える人物は説法の後忉利天に還る摩耶夫人である。続いて葬送、荼毘の場面と続く。実見の際、葬送の場面では、現在欠損する棺の担ぎ棒の部分が当初透彫り状に表されていた痕跡が確認され、至って丁寧な作行きといえる。碑陰には、荼毘と同じ高さに分舎利、その上部に舎利塔起塔が配される〔図2〕。分舎利の場面では、力士の支える中央の牀座に舎利をおき、画面の両端にはそれぞれ侍者を連れ、跪いて舎利を受ける国王が四人ずつ表される。中には裸形、髭を生やすものも見える。舎利を分配するドルナは左右双方に表わされる。舎利塔は一層で、塔内に舎利壺を表す。また、碑陰中央には、如来三、菩■四がおかれる。中心には蓮華座上に大きな身光を負う仏が右手施無畏印をとって倚坐し、向って左には蓮華座上に右手を膝上に伏せる仏、右には蓮華座上で両手を胸前におく転法輪印を結ぶ如来がそれぞれ結跏趺坐する。倚坐像、触地印像は、傍記からそれぞれ弥勒・釈■に比定することができるとされるが、これについては後述したい(注3)。碑の側面最下部には獅子が配され、武人から子を守るかのようである。その上には、邪鬼を踏みつける天部像、同根多肢の蓮茎の先の蓮華座上には合計四軀の菩■が配される。

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