鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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2.康熙官窯の〈新しい倣古〉と出版文化⑴ 『宣和博古図』― 248 ―文茶葉罐」〔図5〕(台北・国立故宮博物院蔵)は■龍を胴の外周にめぐらせており、「青花獣面文茶葉罐」〔図6〕(台北・国立故宮博物院蔵)は、獣面文が胴の中央を飾る。■龍文も獣面文も、殷周時代にさかのぼる中華の古典的な意匠だが、この二つの茶葉罐においても、明官窯など古陶の中に直接的な手本は見いだせない。南京博物院やパーシヴァル・デヴィッド中国美術財団の所蔵する「青花貫套文杯」〔図7〕も、唐草文を腰に配しただけの簡素な意匠だが、端反りの整った器形と相まって、清々しい気品をもつ青花である。また、「青花十二ヵ月花卉文杯」〔図8〕(南京博物院蔵)は、青花と五彩の二種類の作例が知られる作例で、十二個を一揃いとして、各々に十二ヶ月の花と詩句をあらわしている。ここでは青銅器などの古代意匠をもちいることはないが、記された詩句はすべて唐詩からの抜粋であり、古典文学をふまえた作であることは疑いない。康熙官窯では、明代官窯の宣徳・成化官窯の青花磁器の忠実な倣古作も焼造した(注2)。しかし以上の作例は、宣徳・成化など明官窯の直模とは一線を画して企図されたとみるべきであろう。同時に、明末清初民窯の延長上にも位置づけることはできない(注3)。八卦・太極・■龍・獣面など古代の文様も含めて、明官窯をも遥かに超えた、中華文化の古典から意匠を汲み上げ、清新で緊張感のある意匠へ再構成した点で、本研究ではこの一群を、康熙官窯青花の〈新しい倣古〉と呼んで、その意義を考えたい。それでは、康熙官窯の〈新しい倣古〉を担う一群は、その古典的な意匠をどこから学んだのだろうか。筆者はその一つが、明末の萬暦16年(1588)に、復古的な気運の中で復刻された北宋の『宣和博古図』(注4)などの版本にあったと考える。「釉裏紅団花文瓶」〔図9〕(南京博物院蔵)は、青花と同じ釉下彩の技法で装飾された瓶で、細い頸に肩の張る胴が続き、その胴の下部に丸い文様と鋸歯文がめぐる。明官窯の釉裏紅にはない、新しい器形と意匠であるが、その意匠の源が、まさに『宣和博古図』の周時代の青銅器の楽器「錞」図〔図10〕にみいだされるのである(注5)。ただし器形は異なっており、『宣和博古図』では周時代の青銅器「尊」の図である。康熙官窯では『宣和博古図』から文様だけを採取し、これを別の新しい器形を組み合わせた釉裏紅磁器を考案したのであった。『宣和博古図』には「青花魚龍変化文豆」〔図11〕(南京博物院蔵)と同じ器形「豆」

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