3.青花磁器の歴史における転換点⑴ 青花磁器から粉彩磁器への転換― 249 ―の青銅器の図「周蟠虺豆一」〔図12〕もある。また、「青花獣面文茶葉罐」〔図13〕(台北・国立故宮博物院蔵)の獣面文は、『宣和博古図』の漢時代の「辟邪鐘」図〔図14〕に近似している。「青花八卦波濤太極文碗」〔図15〕(パーシヴァル・デヴィッド中国美術財団蔵)の碗の外周にめぐる八卦文も、『宣和博古図』唐時代の鉄鑑の意匠〔図16〕にみることができる。〈新しい倣古〉の試みがすべて『宣和博古図』を元にしたとは考えられないが、版本を手本に意匠の世界を切り拓くことは、明末清初の民窯が広く行なっていた方法である。康熙官窯でもこうした参照源を活用しながら、明官窯の倣古とは異なる、清朝康熙年間の新しく独創的な古典、新しい方法による中華文化の表現を行なっていたのではないだろうか。⑵ 『全唐詩』そして「青花十二ヵ月花卉文杯」(南京博物院蔵)〔図8〕においては、花卉文に添えられる漢詩が、すべて康熙44年(1705)に康熙帝の勅命により編纂された『全唐詩』に所収されることが確かめられている。さらに、杯に記された、やや縦長の優美な書体が、『全唐詩』を刊行した揚州書局の書体、いわゆる軟体楷書という活字に倣ったものであることも論じられた(注6)。また興味深いことに、唐詩という漢人文人の精神の核を題材としながら、ここで選ばれている詩は、漢民族の王朝であった明の『唐詩選』にはひとつも収録されておらず、すべて『全唐詩』や『廣群芳譜』といった、清朝の康熙帝による御製出版物に収録されているのである。軟体楷書を青花磁器の意匠に取り入れた点も併せて、ここには、康熙帝による出版文化と官窯との距離の近さ、そして中華の古典への並々ならぬ意図がこめられているとみることができよう。このように、康熙年間には古典を踏まえながらも、前代にはない新しいタイプの青花磁器が誕生したことがわかる。本研究で〈新しい倣古〉と呼ぶ一群は、しかし、次代の雍正・乾隆年間には影をひそめてゆく。雍正・乾隆年間の官窯青花磁器はむしろ、明官窯の忠実な復古へと回帰してゆくのである。青花における、康熙官窯から雍正・乾隆官窯への変化には、どのような要因が考えられるのだろうか。筆者は、青花の歴史的な転換には、新しい釉上彩の技法である「粉
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