鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 257 ―神前読経は、延暦年間の後半頃から正史にあらわれ、その初期の例は九州に集中している。阿蘇山での神前読経はもっとも早い例のひとつであり、多度神宮寺などの例からみて、阿蘇神のため仏神像の造像があったことも想像されるが、現在までの調査では、阿蘇社や同社の神宮寺である西巌殿寺等に9〜10世紀にさかのぼる仏神像は発見されていない。〈平安後期の状況〉 これまでの阿蘇・高千穂地域調査で発見されたもっとも古い時期の神像は、11〜12世紀ころの作である。そのうち主要な作例を取り上げる。①木造男神坐像〔図1 熊本南阿蘇村・某阿蘇神社蔵〕: 桧材、一木造り、彩色新補。像高41.5センチ。■頭冠をかぶり把笏する男神坐像。近年の面貌等補彩のため、原状がそこなわれていることが惜しまれるが、巾子冠より古式の■頭冠をつけることや張りのある面貌表現から11〜12世紀にさかのぼる作とみられる。②木造男神坐像〔図2 同上神社蔵〕: 桧材ヵ、一木造り、彩色新補。像高76.3センチ。ほぼ等身大の大型神像。拱手した上面には笏を挿していたらしい穴があり、もとは把笏像か。①像と同時期の補彩が施されていた。大型の巾子冠をかぶり浅めに彫り整えられた面貌であり、①像よりやや降る12世紀ころの作とみられる。この両像が祀られている某阿蘇神社(注5)は、阿蘇外輪山の南麓・南阿蘇村に位置する阿蘇本社の有力末社である。阿蘇地域においては、現在知られるもっとも古い時期の神像である。③木造男神坐像、④女神坐像〔図3、4 宮崎高千穂町・高千穂神社蔵〕: 男神像:榧材ヵ、一木造り、像高87.8センチ。女神像:榧材ヵ、一木造り、像高72.5センチ。巾子冠と袍を着けた男神像、大袖の衣を着けた女神像。両像とも阿蘇に隣接する宮崎県高千穂町の高千穂神社に祀られている。浅く整えられた面貌表現などからいずれも12世紀の作とみられ、ほぼ同時期のほかの2躯の男女神像とともに4躯が宮崎県指定文化財。いずれも近代に近隣の他神社から移坐された神像である。⑵ 霧島の神像〈平安前期までの状況〉 鹿児島県から宮崎県にかけて連なる霧島連山は、南九州の山岳信仰の中心である。承和4年(837)に日向国内の三神とならんで官社に預かり、天安2年(858)にも神階上昇の記事がある(注6)。現在、最古と想定される神像は、下記の作例である。⑤木造男神立像〔図5 熊本球磨郡・某Ⓐ霧島神社蔵〕: 針葉樹材製(桧材ヵ)。一木で造られ内刳りはない。像高75.5センチ。■頭冠と袍を着けている。眦をつり上げ、両眼と頬の膨らみを強調した面貌で神威を表現している。しのぎだった彫り口や

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