― 279 ―なるが、眉根から眉尻までの筆運びが自然な表現へと変わり、紅は濃く塗られ、髪も黒々と豊かに描かれて、顔と髪の比重に変化がみとめられる〔図3〕。とはいえ、すべてに当てはまる特徴とはいえず、真贋の問題も含めて今後慎重に検討する余地があることはいうまでもない。大半の作品において、彩色が輪郭線上に乗ったり、平気で線からはみ出したりしている点なども併せて考慮すると、一笑が細部に拘泥しない性格の絵師であったことを物語っているとの見方もできるだろう。加えて、落款においてもある程度使用時期を分けることが可能である。代表的なものを以下に挙げる。① 「宮川」(白文方印)・「一笑」(白文円印)ごく初期と思われる作品に使用されるもので、現在のところ、「役者花見図」(東京国立博物館蔵)〔図4〕と「遊君禿図」(新島村博物館蔵)〔図5〕の2点が該当する。「役者花見図」は、桜の下で歌舞伎役者たちが宴を催す図で、享保6年から14年(1721〜29)の間に描かれたとされる作品である。浅野秀剛氏によれば、本図の役者たちは着物の紋から嵐和歌野(中央振袖姿の女形)、二代市川団十郎(中央で盃を手にする男形)、初代市川門之助(三味線を弾く女形)と推定される(注3)。和歌野は享保6年に来江して同13年に没し、門之助は同14年に没しているため、彼らが集うことができるのは前述の数年間に限られ、一笑30歳代の作品と分かる。早い時期の基準作として位置付けられよう。一方の「遊君禿図」は、一見すると一笑とは信じがたい女性像であるが、「役者花見図」と近い面貌表現をしており、また、背景として描かれた屏風や掛軸の画中画が、吉原通いの男性客や富士山図など、他の一笑作品でみとめられるものと共通している点から、おそらく早期の作例の一つと見て良いものと思われる。室内で煙管を手に禿と談笑する遊女の姿で、美しく染め分けられた打掛の彩色や、細かい毛描きなど細部にも注意が払われ、特別注文に応じた作品と推測される。両者を比較すると、人物たちがいまだ丸顔で長春や長亀に通じる優しい雰囲気を有していること、髱の形が細長く、署名の書体もほぼ同じであることから、ごく近い時期に描かれたものと見なすことができる。② 判読不能(白文瓢印)「文殊見立役者図」(個人蔵)〔図6〕や、「節分図」(バーク・コレクション蔵)などに捺される判読不能の白文瓢形印も、早期に使用された印であったと考えられる。
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