鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 280 ―先述の二点とそれほど画風に隔たりは感じられず、同時期の作例と位置付けられる。③ 「當」(白文方印)一笑作品中最も多く使用される印章である。判読が難しく、「當」と断定するには躊躇するが、本稿では便宜上「當」としておく。本印の使用は画業の前半に集中しており、面貌表現などに一笑風が濃くなっていく様子が指摘できる。先述した「役者花見図」よりも後、享保年間(1716〜36)後半から寛保年間(1741〜44)頃、一笑40歳代から50歳代前半を中心に使用されたと仮定し、代表的な作品を見ていきたい。比較的早い時期に描かれたと思われる「万歳図」(川崎・砂子の里資料館蔵)〔図7〕や「花魁道中図」(太田記念美術館蔵)では、いまだ長春に近い面貌表現をしている人物と、一笑風で描かれた人物が混在しており、自らの画風を打ち立てる以前の過渡期的な性格を有している。手の込んだ作例としては、徳島藩士の柏木半左衛門が家宝として所持していたとの伝承を持つ「江戸名所図屏風」(個人蔵)や、遊廓内で行われる曲芸の様子を描いた「曲芸図」(出光美術館蔵)〔図8〕、及び十六羅漢の一人で龍または雨雲を発する香を焚く姿で表される半托■尊者の見立絵と思しき「香から龍を出す遊女図」(東京国立博物館蔵)(注4)が挙げられる。とりわけ興味深いのは、「江戸名所図屏風」及び「香から龍を出す遊女図」の署名に「流水堂」の号が使用されていることである。いずれも格調高く、通常の作品とはやや異なる趣を具えている点を考慮すると、貴顕からの特別注文を受けた際に用いた号であったと推察される。一笑画はおしなべて顔料の質が長春より劣り、あまり時間をかけずに描いたと思われるものが大半を占めるが、「香から龍を出す遊女図」や「曲芸図」は顔料も鮮やかで、一笑には珍しく絹本に描かれている点など、作品の成立を考える上で看過できない。壮年期の基準作としておきたい。上記の「江戸名所図屏風」以外にも、「當」印の捺された屏風作品には、隅田川から浅草、吉原遊廓までを描いた「隅田川舟遊図屏風」が2点現存し、一笑の大画面作品が好評を得ていたことが窺える。全体的に太く勢いのある線が用いられ、江戸の町を行き交う貴賤の人々が大らかに描写されており、一笑独特の明るい画面に仕上がっている。④ 「安道」(朱文方印)本印の使用は画業の中頃から始まったと推測され、前述の「當」印と並行して使用

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