― 281 ―されたと思われる。「見立芥川図」(大英博物館蔵)〔図9〕や「見立菊慈童図」(太田記念美術館蔵)など数点の作品に確認されるが、この印が捺された中には優品が多く、一笑の画業が成熟してきた時期に使用された印であると考えられる。享保年間後半以降、宝暦6年(1752)に配流となるまでの期間、すなわち一笑40歳代から60歳頃まで使用されたと仮定しておく。この間、ある時期を境に髱が跳ね上がり、眉が太く小さな唇を持つ面貌表現へと変わる様子が看取される。王朝風俗の男女が室内で双六に興じる場面を描いた「新春遊興図」(新島村博館蔵)〔図10〕は、絹本の画面に金泥を多用した華やかな作品で、紅葉や亀甲など様々な模様がほどこされた衣裳や、蒔絵をはじめとする部屋の調度が豪華な印象を与えている。画面向かって左方に見える庭に咲く白梅、及び流水の描写にも手慣れた筆致が確認され、この絵師の力量をも窺い知ることができる。顔はまさしく一笑のそれであるが、品格ある画風にまとめられ、そうした注文にも対応し得る絵師であったことが理解されるのである。前期に愛用されていた「當」印の使用が江戸在住期の作品に限定されるのに対し、「安道」印は新島でも使われていることは注目に値する。加えて、「安道之印」(朱文方印)も江戸在住時代の後期にわずかながら使用がみとめられ、「雪中男女図」(熊本県立美術館今西コレクション蔵)や、次に述べる「蚊帳美人文読み図」(奈良県立美術館蔵)〔図11〕が該当する。人物の面貌表現や髪型が、「安道」印を捺された作品よりも後の時期の特徴を有していることから、江戸在住期の中でも末期にあたる時期に使用されたことは間違いないと思われる。⑤ 「窠堂」(朱文方印)現在のところ、「桜下遊女に禿図」(東京国立博物館蔵)、及び前掲「蚊帳美人文読み図」の2点にみとめられる印である。両作品ともに、髱の形が跳ね上がり、面貌表現も最終段階の特徴を示すなど、壮年期の特徴を具えている点が指摘できる。とくに後者は、前述の「安道之印」と共に捺されており、ここからも同印が江戸在住期の終わり頃に使用されたと理解できる。⑥ 「笑」(白文方印)今のところ、新島時代の作品に限定してみとめられる印である。次章で述べる。これらに加えて、署名に「湖邊斎」の号が使用される例が、管見の限りでは3点確認できる。
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