3.新島作品の概要新島における一笑の足跡に関しては、吉田暎二氏を筆頭に、辻惟雄、小林忠、河野元昭諸氏、及び安村敏信氏による報告がある(注5)。一笑新島作品の詳細に関しては稿を改めるとして、まずは筆者が当地で実見したものの概要のみ挙げておく。・「楼上遊宴図」(太田記念美術館蔵) 署名「日本絵湖邊斎一笑」 印③「當」〔図12〕・「見立芥川図」(大英博物館蔵) 署名「湖邊斎一笑」 印④「安道」・「見立菊慈童図」(太田記念美術館蔵) 署名「日本絵湖邊斎宮川一笑」 印④「安道」いずれも通常の作品よりも丁寧に描いていることが分かるが、背景の描き込みが多く、衣裳の柄も多様であり、画面にはある種の品格さえ漂っている。とくに赤色を効果的に使い、画面を華やかに仕立てている点など、絵師の配慮が窺えよう。先述した「流水堂」の号と同じく、「湖邊斎」もまた、特別注文制作の際に使用されたものといえるのではないだろうか。⑴ 万歳図 「日本絵宮川一笑」+「安道」(朱文方印)⑵ 高砂図 「日本絵宮川一笑」+「笑」(白文方印)・「安道」(朱文方印)⑶ 七福神宝船図 「日本絵宮川一笑」+「安道」(朱文方印)〔図13〕⑷ 大黒図 「八十一歳翁縣蘇丸」+「笑」(白文方印)ヵ・「安道」(朱文方印)(以上、新島村博物館寄託)⑸ 七福神図 「八十一歳翁縣蘇丸」+判読不能(白文方印)・同(白文長方印)⑹ 三猿図 「八十五歳縣安道」+「笑」(白文方印)・判読不能(白文方印)⑺ 釈■涅槃図 「日本絵宮川一笑藤原安道」+「安道」(朱文方印)題名を見れば分かる通り吉祥的な画題が主であるが、これは、元禄11年(1698)に流罪となり、10余年を三宅島で過ごした英一蝶(1652〜1724)などにも共通しており、島民に求められた絵がいかなるものであったかが知られよう。粗末な顔料しか入手できないとはいえ、衣裳の色柄や面貌表現は丁寧な描写であり、人物の顔立ちはまさしく一笑のそれを示している。「万歳図」などは表装や軸が当時のままと考えられ、とりわけ画家自身が作ったと見受けられる小さな桜紋の一文字が印象深い。これらに加えて、新島十三社神社には「三十六歌仙絵馬」36面が保管されている。本絵馬は、一笑が配流されてから4年ほど経過した宝暦6年(1756)に奉納されたも個人蔵新島村博物館蔵〔図14〕若郷・妙蓮寺蔵〔図15〕― 282 ―
元のページ ../index.html#293