鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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■■― 292 ―これまでにない総合的な雪景図として完成させているのである。三.「孤高抜俗の意」を重ねる次に文徴明が、王維以後の様々な雪景図学習の集大成として《関山積雪図巻》を完成させたことに関して、新たな意味付けを試みたい。文徴明は自題において、雪景図は古より高人逸士が「孤高抜俗の意」を寄せ、制作したものであると述べた。こうした前提が、本作品の成立にどのように関わってゆくのであろうか。文徴明は、《関山積雪図巻》を完成させる四ヵ月前の嘉靖11年(1532)6月、趙孟頫《袁安臥雪図》を実見し、後跋を附している(注8)。 趙松雪、袁通甫の爲に臥雪圖を作る。老屋疎林、意象蕭然たるに、自ら頗る其の能事を盡くすと謂ふ。而れども龔子敬、其後に題し、乃ち芭蕉を畫さざるを以て欠事と爲すと。余、袁君與之の爲に此に臨み、遂に牆角に敗蕉を著すに、生気有るに似、又た益すに崇山峻嶺、蒼松茂林を以てす。庶むを見るを以て、故に贅を嫌ぜざるなり。壬辰六月二十日、文徴明識。(傍線部は筆者による)跋において文徴明は、友人の袁襃(袁與之)のために趙孟頫《袁安臥雪図》に臨んだと述べる。文徴明は本作品を実見する前年の嘉靖10年(1531)、かつて趙孟頫が友人の袁易のために《袁安臥雪図》を制作した故事にならい、袁襃に《袁安臥雪図》を描き贈っているが(注9)、おそらく趙孟頫《袁安臥雪図》を実見できた今、あらためて袁襃のために臨模したということではないかと考える。そしてその臨模した図に、かつて龔子敬が趙孟頫《袁安臥雪図》に対して述べた「芭蕉を描いていない点が欠けている」との批評をふまえ、垣根の角に形のくずれた芭蕉を描いたという。この芭蕉とは、北宋の沈括が所蔵していた王維の《袁安臥雪図》に芭蕉が配されていたことに基づいている(注10)。それを文徴明は、「庶むを見るを以て、故に贅を嫌ぜざるなり」、すなわち画中において孤高抜俗の積み重なる様を見ることで、自分の余計な付け足しを嫌わないでほしい、と結んでいる。ここにおいて注目したいのは、文徴明が《袁安臥雪図》に王維を想起させるモチーフである芭蕉を描き加えることで、孤高抜俗が積み重なると述べたことである。芭蕉を描き加えたのは趙孟頫《袁安臥雪図》の臨本であったことから、当然その《袁安臥雪図》の画面からは、趙孟頫と王維という二名の画家を想起することが可能だったはずである。そしてそれが同時に、各々の画家が《袁安臥雪図》に託した「孤高抜俗の■■■■はくは、孤高抜俗の蘊はくは孤高抜俗の蘊■■■■

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