鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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注⑴ 法量は、『故宮書畫圖録 十九』(台北故宮博物院、2001年)を参考。なお台北故宮博物院には、本作品とほぼ同じ図様で、嘉靖18年(1539)の作という《雪山図》が所蔵されるが、その画風から真筆であるかは検討を要すると思われる。⑵ 「張明遠索畫久而未成歳暮陰寒雪霰将集齋居無聊爲寫溪山欲雪圖并賦短句」明・文徴明・文嘉■『甫田集 三十五巻附録一巻本』巻之六、四(國立中央圖書館、1968年、p. 194)。なお、制作年は周道振輯校『文徴明集』(上海古籍出版社、1987年)によった。― 294 ―⑶ 「袁安臥雪圖巻」、清・呉榮光■『辛丑銷夏記』(道光21年(1841)自序)巻五、三十八。⑷ 今日、明末の董其昌(1555〜1636)が実見した伝王維《雪渓図》(所在不明)の図版の一部が伝わるが、本作品が文徴明の見たものであるかは不明である。なお古原宏伸氏は、本作品が沈周の頃には《雪渡図》と呼ばれていたとの見解を提示しておられる。(古原宏伸『米芾『画史』註解 上』、中央公論美術出版、2009年、p. 335)⑸ Wen Fong, “River and Mountains after Snow (Chiang-shan hsueh-chi) Attributed to Wang Wei (A.D. 住まう王寵を高潔な隠遁者として称揚する意味も当然有していたはずである。文徴明は、本作品を完成させる二ヶ月前に《石湖清勝図巻》〔図7〕を制作している。この作品は石湖の実際の地理景観が意識されつつも、一部の地形に大幅な改変を加え、黄公望《富春山居図巻》(台北故宮博物院蔵)の構図、趙孟頫画にみられる汀の表現などを用いて完成させている。《関山積雪図巻》において、古画の踏襲が有していた精神的意味を想起すれば、これもまた古来より文人達に愛され、また自らも雅会の場として慣れ親しんだ石湖を、より文人達の理想的世界として表象することに他ならなかったと考えられる。ただ《石湖清勝図巻》が、暖かい淡緑の着彩によって湖山に満ちる陽気を表象し、和やかに語らう文人達の姿を表しているのに対し、《関山積雪図巻》は、生命力を内包しつつも厳しく静謐な雪景を表している。それは《石湖清勝図巻》とは異なる、文人の孤高の精神世界として表象された石湖だったのではないだろうか。結語以上、《関山積雪図巻》は、王維をはじめとする過去の画家達の雪景図を、その図様のみならず精神性においても一画面の中に表象しようという意識のもとで制作されたとの見解を述べた。またさらに文徴明は、それを実景表象などにも取り入れ、馴染み深い土地をより理想化された姿へ表象する手段として利用していたことが考えられる。これらの見解は、1530年代の文徴明の絵画表象に新たな一視点をしめすとともに、文徴明の次世代から本格的な流行をみせる呉派文人画壇の名勝図表現を考察するうえで、いくらかの資となるものと考える。

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