鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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1.教育日仏の画塾等に於ける教育活動は、理論と実践の両面でアングル受容に大きな役割を果たした。その例として、フランスではアカデミー・コラロッシやアカデミー・ド・ラ・グランド・ショミエールで絵画指導に携わったゲランが挙げられる。ゲランに師事した日本人には遠山五郎や小島善太郎、土田麥僊等がおり、中でも遠山は師がアングルを高く評価したと書き残す。「よく[中略]アングル等のデツサンが引合ひに出された。氏の議論として繪を構成する最も重大な要件はデツサンであつた。」(注1)他方日本では、不同舎を開いた小山正太郎がアングルを称賛した。フランスから帰国した小山が神田の石崎邸で行った連続講話の内容を、石井柏亭はこう回想する。「氏はダヴイツドとアングルとを以て十九世紀佛國畫家中最偉大なるものとし、此二人を賴山陽に比するならば、ミレ、コローの如きは其角のやうなものであると曰ひ、マネー[中略]等の藝術を認めることをしなかつた。」〔表2A番号2〕。2.刊行物こうした画塾等での学習よりも簡便に知識が得られるため、刊行物でのアングル論の公表及び翻訳による紹介、図版掲載も、アングル受容が進む要因となった。中でも顕著な文筆活動を示したのが黒田重太郎である〔表1番号33、表2A番号7−8、表2B番号8〕。彼は洋行中ルーヴル詣でに止まらずアングル美術館を訪れた程アング― 299 ―㉘ 日本人作家によるアングル受容序研 究 者:愛媛県美術館 主任学芸員  武 田 信 孝日本人作家によるアングル受容について、これまで総合的に語られることは無かった。本稿は、フランスの画家アングル(1780−1867)とその作品が近代以降の日本美術にどのような関わりを持ってきたのか概観し、アングリスムに係る様々な各論的考察の拠所となる基盤の形成を試みるものである。又石井と同じく小山門下で、鹿子木室町家塾を開いた鹿子木孟郎は、アングルの素描集を教材に使っていたようだ。その実際を、小山門下でもある黒田重太郎はこう回顧する。「極く最初は模写からはじめて、西欧大家の写真版複製から、アングルの素描集を、一冊まる抜きに写してしまう頃、やつと写生に出る許しが出て、[中略]方々あるいた。」〔表2B番号8〕

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