鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 305 ―美の眞髄」であり、「裸体は神聖なるもの」で、そこには「曲線の美がある」と考えた(注12)。この研究方法として彼はアングルの素描を例示する。「近くはダビードなどがそれら古人の遺法を研めた結果が、遂にアングルの墨で裸體を寫生するといふ完全な方法となつた。このアングルのデツサンは今や全世界を覆うてをるといふてもよい位で、人体研究には欠くべからざる方法となつた。」(注13)こうした研鑽の現れであるアングルの絵について、「其輪郭の正しく氣品の高きこと、一見襟を正さしめる觀がある」とした彼にとり、アングルの裸体画は賞賛されるべきものであった(注14)。にも関わらず扇情的な性的画像の範疇で捉えられることもある現実に嘆息して曰く、「ルーヴウ宮の逸品アングルの源泉もコレツヂノ森の神と配せる裸体畫もある者の目には、ちつとも神聖とは見えず、[中略]已往五百年の秀逸とせる名畫もあはれ日本の某官廳の御役人樣には淫靡の標本としてそが寫眞は買はれて今は其官廳にかゝつて居るかどうだか、余は親しくそを買ふのを見たのである」(注15)。この傾向は大正期に下っても消え無かった。1924年9月16日付け『東京朝日新聞』は、坂崎坦が欧州から持ち帰った名画写真を公開する西歐名畫寫眞展覽會(東京・松屋)の陳列替を報じる記事で、《トルコ風呂》の写真が「警視廳の命により撤回の餘儀なきに至つた」と伝える。こうした問題は昭和期にも存続した。高田力蔵は《泉》の模写が1940年新美術家協會第12回展(東京府立美術館)に陳列された当時をこう回顧する。「この頃は、どの展覧会も開会にさきだち下谷警察署の特高が検閲に来たものである。『泉』そのものの陳列は許されたが、『泉』の絵はがきは発禁を喰った。白黒写真だとデルタの陰影が恨毛のように見えるという理由であった。」〔表2A番号11〕今日でも藝術か猥褻かという議論は耳にするが、西洋絵画の伝統的主題としての裸体が忌避される問題に直面した作家は、時として世に理解されない藝術家的な一種のプライド、或いは展示の規制から生じる心理的リアクタンス等も相俟って、裸体画に表されているものは何か、油彩画家の仕事とは何かという本質論に襟を正して向き合うことになったのではないだろうか。結語以上見てきた通り、日本人作家によるアングル受容は多様な展開を示してきた。これまで注目されてこなかった、アングルとその作品が日本近現代美術史形成に果たした役割は、大きなものであったと理解されるであろう。そこには近年又一つ新たな潮流も浮上している。保木将夫コレクションを公開するホキ美術館開館により頓に注目

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