― 310 ―㉙ 沖縄と近代美術─琉球処分から終戦期までの来沖画家と沖縄出身画家にかんする基礎調査─研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程 奥 間 政 作はじめに本稿は、明治12年(1879)の所謂「琉球処分」から昭和20年(1945)の終戦までの期間に沖縄を訪れた美術家と沖縄出身の画家に関する基礎的な調査をまとめたものである。調査は沖縄の美術教師および沖縄を訪問した画家についての情報を対象に、主として同時代の新聞資料をもとに行った。沖縄へ赴任した美術教師は、当地の美術教育を担うと同時に、沖縄出身の画家を育成する役割を果たしており、近代美術を沖縄へ根づかせる基本的な役割を担ったと予想される。また、沖縄を訪問した画家たちによって生み出された沖縄を題材とする作品は時折中央の画壇でも注目され、昭和10年代初頭には多くの画家が沖縄を訪れていたことが分かる。昭和期には、沖縄の表象は一定のパターン化を示すようになるが、どのような美術家が沖縄を訪れ、どのような作品を制作したかを追うことによって、そのようなパターンの生成を探る材料も提供されることになろう。先行研究と本研究の方法沖縄を訪問した美術家および沖縄出身の画家については既に岡部昌幸によって調査は進められているものの(注1)、かつての新聞資料を参照すれば、その数はさらに増えることが今回の調査で判明した。また、個々人の美術家については、高階絵里加や、小林純子による研究があるものの、沖縄を訪れた数多くの画家の数からすればその割合はわずかである(注2)。そのため、本研究はまず、沖縄を訪問した画家および沖縄出身の画家について、同時代の新聞資料をもとに可能な限り抜き出すことから作業を始めた。データの収集にあたっては、東京藝術大学所蔵の『諸新聞切抜帳』や『琉球新報』(明治31年(1898)〜大正7年(1918)、昭和13年(1938)〜昭和15年(1940))及び『沖縄毎日新聞』(明治42年(1909)〜大正3年(1914))を使用し、適宜新聞資料のデータベースを利用した。沖縄で発行されていた新聞資料については、画家の情報のみならず、広く美術に関する事項も取り入れている。沖縄と関係のある画家の中で、これまで触れられたことの無い画家の名を抽出する
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