鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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⑹ 「秋季美術展覧会優等品」『東京朝日新聞』1900年10月28日5面には「瑞雨とばかりで画題ハ記⒃ 水上泰生の来沖については『琉球新報』1914年2月7日2面に記されており、それぞれの受賞については「文展受賞者」『大阪朝日新聞』1914年10月24日参照、岡田の沖縄訪問については「入選の栄誉を担し大阪画家」『大阪日々新聞』1914年10月26日に掲載されている。― 316 ―⑺ 「沖縄絵画同好会規則」『琉球新報』1903年12月3日3面、「同志図画研究会の組織成る」『琉球⑻ 「おかゆ接待 山口氏父子の美挙」『東京朝日新聞』1930年9月21日2面⑼ 「美術学校の依頼状」『沖縄毎日新聞』1909年2月28日2面⑽ 「沖縄近況」『読売新聞』1889年11月19日別刷1面 それ以前に山本芳翠が沖縄を訪問しているが、芳翠の沖縄訪問に関しては今回の調査で資料を見つけ出すことはできなかった。今後の課題としたい。⑾ 「美術界の奇観」『琉球新報』1899年7月5日2面⑿ 「沖縄教育会」『沖縄毎日新聞』1909年11月15日2面⒀ 永山多貴子「石川寅二、吉田博、中川八郎の画帖─〈琉球〉について」『郡山市美術館研究紀要』第1号 郡山市立美術館 1999 51−71頁、島袋和幸「来沖した太平洋画会─「琉球写生室」の画家達─」『沖縄の軌跡 うちなーんちゅの遍歴』私家版 2008 17−22頁⒁ 「画家志佐墨鳳氏来覇」『琉球新報』1913年2月25日2面⒂ 「勧業博覧会の美術」国民新聞 1913年4月30日 池田の来沖時期については不明なものの、大庭景秋の『其日の話』には池田の沖縄行きに関して触れられているため、実際に沖縄を訪問したと思われる。(『其日の話』大庭景秋 春陽堂 1918 60−61頁)⒄ 「錦水漫画展覧会」『琉球新報』1914年9月8日2面⒅ 『琉球新報』1916年1月1日17面⒆ 「通堂だより」『琉球新報』1916年4月21日2面⒇ 「南島へ憧れ 二科の画家達 春四月来県」『琉球新報』1938年2月15日■ 「博覧会彙報」『時事新報』1903年2月13日■ 「比嘉崋山氏の出品画」『琉球新報』1903年3月11日2面■ 「花売縁を見て」『琉球新報』1916年2月26日3面■ 「逗子の海岸に無政府主義者の茶店」『読売新聞』1922年6月29日いて、同記事は「図画ハ皆毛筆画にして二三年各学校の課程たりし鉛筆画ハあへなくも痕跡を絶ちたり」と記されている。さないでも沖縄県の風俗画とハ誰しも承知であらう」とある。新報』1904年1月29日2面

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