― 327 ―る。表では、文様主導タイプとして分析した土器を、横長の楕円で囲むが、その中でも左に進むにつれ、器形そのものの構造の変化よりも、精緻な技術による土器表面の彫塑表現の印象が強く、「原始工芸」としての印象が強くなる。その中でも〔図3〕②の火焔型土器は、岡本太郎よりもはやく工芸家・水原徳言によって「アプストラクト・アート」と評され、いち早く抽象芸術として注目され、工芸的観点から一歩脱した現代美術の視点が注がれたが、それもこの表に見るように、文様施文だけでなく、形態の全体性を重視した造形構造を持っていたことによると推測される。〔図5〕④の勝坂式の土器については、本考察のように文様施文と器形形成の関係ではなく、文様そのものの配置に注目すれば、単純な繰り返しを嫌うアシンメトリーな文様構造を見出すことも可能である。表の右下、縦長の楕円には器形形成の意欲が高い土器を囲む。上に進むにつれ、文様施文への造形意欲が強く見られるため、口縁部の文様に意識を誘導するような構造を持つ〔図6〕⑤の国分寺の土器が上方に位置する。この縦楕円の一番下に位置する〔図8〕⑦の有孔鍔付土器が、前章で論じたように彩文された場合で考えるならば、文様施文意欲をより高く評価し、今の位置よりも上部にくることも想定される。これらの器形形成が主導するタイプは、細かな文様の一つ一つよりも、彫刻的な量塊(マッス)が感じられる。岡本太郎が抽象彫刻の空間感覚を見出したように、このタイプの土器は、造形全体の調和や構築性など、縄文土器を美術的に語る上での要素を多く持つため今後も美術としての縄文土器研究の中心となることが推測される。〔図10〕⑧の焼町土器は、文様施文と器形形成の意欲が拮抗する例として、表の真ん中に位置する。この土器は、その拮抗する造形表現の他にも、波状口縁部分の耳の尖った動物にも見えるような野性的な表現が注目される。このダブル・イメージの表現は、中期土器に特徴的に存在するが、それらが全て本例と同様に、文様施文と器形形成の意識の引きあうところで発生するのかどうかは、今後の検証課題としたい。本分析からは、縄文土器は時代を映す鏡として、たとえば、装飾的という観点では表面のレリーフ意識が強い、〔図13〕の表の上に位置する土器群を、マッスを重視した彫刻的という観点では表の右下に位置する器形の動きが重視される土器群をというように、その時代の美術の概念や論旨に即して土器が選択されてきたことが明らかになったが、それはまた、縄文中期土器の表現の多様性を証明したといえるだろう。
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