鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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注⑴ 青柳正規「縄文土器の美術」『名宝日本の美術第1巻 原史美術』小学館,1982年,130頁⑵ 辻惟雄『日本美術の見方 岩波日本美術の流れ7』岩波書店,1995年,67頁⑶ P・ベタンコートはカマレス土器について、作陶と装飾の双方がかなり発達していることに触れ、その多くはcraftというよりthigh artの様だと述べている。Philip P. Betancourt, “The History of Minoan Pottery”, Princeton University Press, 1985, p. 95.⑷ Friedrich Matz, Die frühkretischen Siegel, Berlin and Leipzig : W. de Gruyter, 1928⑸ Arne Furumark, Studies in Aegean Decorative Art: Antecedents and Sources of the Mycenaean Ceramic 4.まとめ本考察では、縄文中期の土器の、器形と文様それぞれにおいて美術上で注目される造形要素を確認し、その多様性をあらためて認識することとなった。今後の研究の展開としては、立体的表現(器形形成)と文様(施文)の調和に注目し、諸島文化独自の立体表現にも着目しながら造形構造の研究を進めていきたい。例えば、本調査で訪れたアテネのキュクラデス博物館所蔵の、キプロスの新石器時代の土器〔図14〕(紀元前17世紀)では、彫塑表現と胴部に描かれる文様との連続性と調和の点で縄文中期土器と共通性を持つ。これらの形式的類似性を手掛かりに、個々の土器の造形研究を進めることで、地域のアイデンティティの表象として捉える考古学とは異なる、個の創造性に着目する縄文土器の美術としての研究の確立を目指していきたいと思う。⑻ 小林氏は文様のモチーフが「均整(シンメトリー)を保ち、規則正しいリズムの繰り返しを表す」A種と、「一定の空間における均衡やリズムを踏みはずした」B種に分類し、B種については「一定空間を装飾することよりもむしろ、そこに物語を託そうという動機に由来するもの」と考察する。小林達雄『日本の原始美術1 縄文土器Ⅰ』講談社,1979年,まえがき⑼ 1936年に近藤篤三郎によって現長岡市の馬高遺跡で発見され、復元された一つの土器のみ「火焔土器」の愛称を用いる。新潟県十日町・笹山遺跡の火焔型土器は1999年に縄文では全国初の国宝に指定された。1976. p. 11.Decoration. Stockholm: V. Pettersons, 1939.⑹ Gisela Walberg, Kamares: A Study of the Character of Palatial Middle Minoan Pottery. Uppsala: Breas, ⑺ P・ベタンコートは①の「統一装飾」について「全体としての器の形を強調する」とし、②の「構造装飾」については「構造の調和により容器を形づくる」と分析する。Philip P. Betancourt, Op. Cit. p. 101⑽ 土肥孝『日本の美術 縄文土器 中期』至文堂、2007年、第13図解説⑾ 土肥孝、前掲書、第29図解説― 328 ―

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