鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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2.ケルミス禁止令このように農民祝祭版画は、都市の中で、あるいは市や行商人の手で広汎に売られ、大衆的な場所で見られたと推定される。では1535年にニュルンベルクで制作された《ケルミス大版画》には、どのような制作意図があり、どのように見られたのだろうか。「ケルミス」とは、元来、教会開基祭だったが、徐々に都市と村の収穫祭の中心的な行事へと変貌を遂げた民衆の祭りである。特に中世末期に都市周辺の農村では、ケルミスは都市民をも集める大規模なイベントと化した。長の農民踊りの版画〔図7〕が貼られている。この画中版画では、草の生えた地面で五組の農民男女が踊っている。この版画がゼーバルト版画に由来していることは明らかだろう。良く似た画中版画が、匿名画家ブラウンシュヴァイク・モノグラミストの《居酒屋光景》(ベルリン、国立絵画館、1549年)〔図8〕にも見られる(注7)。左方壁面に、やはり横長に数人が並んだ版画〔図9〕が貼られているのである。右に二人組、それから一人ずつで四人いるが、ここに描かれているのは農民というよりは傭兵(ランツクネヒト)なのかもしれない。これらの版画は、このように民衆が集まる場所に貼られ、見られていたと考えてよかろう。もう一度リュッフを引き合いに出せば、このような版画が大衆的な場所に目障りなほど沢山貼られていたからこそ、この自惚れ屋の人文主義者・医者は腹に据えかねて「胸くそ悪い」と書くことになったのだろう。次に版画販売の様相を描いた二つの絵を見てみよう。まずネーデルラントの版画家フランス・ホーヘンベルフ周辺の銅版画《刷り物行商人》(ベルリン、国立図書館、16世紀後半)〔図10〕(注8)では、版画や小冊子を売り歩く行商人の姿が画面一杯に描かれている。彼は台を肩に掛け、都市や村々を売り歩くのである。ところが宗教改革は、その様相に変化をもたらす。ルターは、1520年の『キリストP. ブリューゲル2世《田舎の市》(グラーツ、シュタイアーマルク州立美術館ヨアネウム、1616年以降)〔図11〕(注9)では、左手中景の壁面に比較的大きな絵が何枚か貼られているのが見える〔図12〕。それだけでは版画かどうか判然としないが、傍の樽上に《刷り物行商人》で肩から掛けていたものと同型の台が置かれているのが分かる。つまり絵を説明している青帽の男は版画行商人であり、左の女はその客ということになる。田舎の市には、版画売りもやってきたのである。― 23 ―

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