鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 332 ―㉛ 新古典主義美術における「神話的人間」の表象─ヘラクレスとプシュケ─研 究 者:東京学芸大学 教育学部 准教授  尾 関   幸その中でもヘラクレスとプシュケには、18世紀的表現の特質が凝縮して表われている。両者ともルネサンス以来、繰り返し図像化されてきた主題であるが、ヘラクレスにおいては、17世紀以来頻繁に取り上げられた「分かれ道のヘラクレス」という主題が、18世紀後半において新たなヴァリエーションを展開し、プシュケにおいては18世紀末になって「アモルとプシュケの婚礼」の図像表現によって、特に彫刻表現において傑出した作品群を形成している。ヘラクレスとプシュケの起源は全く異なっているが、ともに人間ゆえの弱点をもち、神々に翻弄されながらも、直面する困難な課題を一つずつ解決し、人間が到達しうる限り最高の域へと導かれるという点において共通している。18世紀を通じて優勢となった世俗的芸術への反省を込めて始まった古典主義美術においてさえ、美術家たちは、「人間」の表象から離れることはなかったのである。ヘラクレスとプシュケが18世紀末の美術において特別な意味をもつ理由はもう一つある。「分かれ道のヘラクレス」は、三人一組という古典的な均衡による群像形態に属し、「アモルとプシュケの婚礼」は、二人一対という排他的で親密な群像表現によって成立する。作品形態におけるこうした特徴的な構造は、ともに、19世紀初頭のド18世紀後半にはじまる新古典主義は、文芸復興期のそれとは動機、様態ともに異なるものである。ルネサンス期には、古代世界の復興という広い文脈の中で、汎神論的世界が発見され、自然現象の科学的解明が緒につき、人体の理想的比例が追求された。そしてこの時期、芸術表現の革新は、技法や素材の革新と不可分の関係にあった。だが新古典主義美術においては、考古学的な知見の深化といった同時代的関心事はあったにせよ、古代美術は表現技法上で競い合う対象では最早なく、国際様式としての古典主義は、新興市民階級に兆したナショナリズムが台頭する中、美術アカデミーの制度にからめとられ、形骸化を免れないかのように思われた。しかし、新古典主義に新しい要素が見られないわけではない。例えば、その一つに主題の解釈の変化が挙げられる。アポロンやウェヌスといったオリンポスの神々よりも、イカロスやアリアドネ、ヘラクレス、プシュケといった人間が題材として好まれるようになるのである。それは、神話的世界が現代的な文脈で再解釈され、作り手の個人的な動機をも含めた、内面的、心理的側面へと表現の重点が移っていったことを意味する。

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