鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 333 ―イツ語圏の美術にあらわれた二人一組の群像表現「友情像」の発生に決定的影響を及ぼしたと考えられるのである。本研究は、神話的世界に施された18世紀的解釈の特質を検証し、ロマン主義の「友愛像」に繋がる同時代的問題意識のあり方を解明するものである。Ⅰ 「分かれ道のヘラクレス」美徳と悪徳の狭間にあってそのいずれを選択すべきか逡巡しながらも、最終的には美徳を取ることを決断するヘラクレスの逸話は、ギリシャのソフィスト、プロディコスによって創作されたものであるという(注1)。図像化されたのは漸くルネサンス期にはいってからであるが、その教訓的な内容はバロック期を通じて広汎な支持を得、わけてもアンニバレ・カラッチの作品は、後進にとって「古典的」ともいうべき規範的表現を提供した〔図1〕。樹下のヘラクレスは立膝をついて物思いに耽り、その右手にたつ「美徳」の擬人像は右手を挙げて進むべき険しい道を指し示し、対する「悪徳」の擬人像は軽やかな身ぶりでその反対の方向へと誘う。ヘラクレスは正面観で表わされ、二人の女性像はプロフィールを見せつつ、一人は体をこちら側に向け、もう一人は後ろ姿である。ほぼ左右対称の構図は、「ヤヌス」や「三美神」等、古代から継承されてきた「三人一組」を表わす安定した構図の、一つのヴァリエーションと見なされる(注2)。かつては「パリスの審判」と同様、ヘラクレスと二人の女性像群とを、各々画面の両端に分割して配置するパターンも存在した。三美神のように三者の同質性を前提とする図像と異なり、男性であるヘラクレスは二人の女性像と等価にはなりえず、また物語の主人公もヘラクレスであるから、その存在を際立たせるために構図の中でパリスのように孤立させる選択肢もあって当然であろう。しかしこうした流れは、挿絵版画において数点の作例を見るのみであり、速やかに忘れ去られてしまった。「パリス」型が放棄されたのはなぜか。国土(財産)、戦勝(名声)、女性(愛)の中で愛を選びとるパリスは美的人間の典型として受容され、「パリスの審判」は数々の美術アカデミーの壁面を飾ってきた。その一方で、ウェヌスの甘言に唆され、女色に抗うことができないパリスの軽率は、結果的にトロヤ戦争の災厄をもたらした。対して、魅力的な女性像によって体現される「悪徳」を退け、峻厳な身ぶりで教え諭す「美徳」を選択する禁欲的なヘラクレスは克己する人間であり、規範的人間と見做される。ヘラクレスを構図中央に据え、観者と視線を合わせる「カラッチ型」の表現は、■藤するヘラクレスに観者の注視を促し、その道徳的決断を共有するように仕向ける

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