2.ジャン=ジャック・ルグノー《自由か、死か》(1794)〔図4〕 画面中央に浮遊する有翼の若者は、メルクリウスの姿をした「革命の精霊」である。観者に向かって両手を広げ、右手はフリギア帽と水準器を掲げる革命の擬人像を、左手は鎌を持った死の擬人像を指し示す。発表当時、「自由」の輝かしいイメージと「死」が■り立てる恐怖感の対比から推定されるほど、「自由か死か」という問いに対する答えは明確ではなかったようだ。というのも、メルクリウスの問いかけは二者択一的であるよりも、二者の等価性を強調するように受容され、その過激さがジャコバン党の恐怖政治を連想させたのである。この作品はジャコバン党の失墜とともに展示の機会を失い、やがて失われた(現存するのは油彩習作のみ)。しかし、画面中央から観者に対して正面に向き合い、両手を広げて観者に選択を問う「革命の精霊」の姿は、ヘラクレスの啓蒙主義時代の後継者とみて差し支えないだろう。3.ジャック・ルイ・ダヴィット《サヴィニの女たち(部分)》〔図5〕 1799年、急進的な革命家からナポレオンの首席画家として権力へと統合されていくダヴィットが描いた大作である。サヴィニの娘ヘルシリアは、ローマの男に誘拐され、結婚して子をなす。サヴィニの男たちはローマに攻め込むが、逆にサヴィニの女性たちによって和解へと導かれる。サヴィニの父とローマの夫との間に立ち、利害を対立させる二世代の男たちを調停する主人公の姿は、自らの転向に対するダヴィットの道徳的な弁明であると解釈する研究者もいる(注5)。手を広げて正面を向くヘルシリアを中心に、夫と父が向かい合いつつ、一方はこちら側に、他方がこちら側に背中を向けるその構図はヘラクレスを挟んで向かい合う「美徳」と「悪徳」の対比の変奏形とみることができるだろう。― 335 ―以上、二つの価値の優劣を問う道徳的主題として始まった「分かれ道のヘラクレス」が、18世紀後半に生み出されたヴァリエーションにおいては、諸々の対比的価値の弁証法的統合を訴える形へと転用されたことを確認した。ティツィアーノの《天上の愛と地上の愛》は、パノフスキーによって「ヘラクレスのいない美徳と悪徳」と描写されたが、「静と動」、「聖と俗」、「生と死」等の二元論的思考は、西洋思想において繰り返し顕れる枠組みである。「分かれ道のヘラクレス」を起点とし、対比的な一対の女性像は、19世紀初頭に顕れる「友情像」という新たな主題へと展開していくが、その分析に入る前に、「友情像」に関連していると思われるもう一つの逸話「アモルとプシュケ」について触れておこう。
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