鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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― 336 ―Ⅱ アモルとプシュケ「アモルとプシュケ」は、ローマ期の詩人ルキウス・アプレイウスが、おそらくはギリシャ語の失われた原典に依拠して創作した物語『黄金の馬車』に登場する恋人たちである。二人を図像化した諸芸術作品において、最も頻繁に採用されるのは、プシュケが寝ているアモルの姿をランプで照らしだす場面である。特にバロックからロココ期にかけては、この主題の「閨房の恋人たち」という側面が、感覚的かつエロティックな主題への嗜好を惹きつけたと指摘されている(注6)。フランスに王政が復古し、貴族趣味の復活した直後に再びこの場面がしばしば取り上げられたことは、この説を裏付けるものであるかもしれない(注7)。だが1800年前後、まさにフランス革命の最中に「アモルとプシュケの婚礼」という図像がヨーロッパ的流行をみたことは、それとは別に考察されなければならないだろう。「プシュケ」は、語源的には「息吹」或いは「記憶や理性、感情を持たない影」を意味し、転じて「魂」の意となった。人が死ぬと魂が口から抜けると考えられていたエトルリアにおいては、プシュケは蝶(蛾)あるいは蝶の羽をもち、喪に服す女性像として葬祭芸術に登場する(注8)。アモルもまた、起源は異なるものの、自然神である他のオリュンポス神と異なる哲学的存在である。蝶と戯れるエロス/アモルの図像はプシュケとは別個に存在していたが、ヘレニズム期には、両者が対となって図像化される例が確認できるという(注9)。アモルとプシュケが恋人と見做されるようになったのは、アプレイウスの『黄金の馬車』よりそう遠く■らない時点であったと推定される。アプレイウスはプシュケをウェヌスと見紛うばかりの美貌の娘として描出している。ウェヌスの命によって地上へ遣わされたアモルは、プシュケを醜い男の恋人にするはずが、逆にプシュケに魅了され、神の身分と姿を隠して彼女をおとなうようになる。プシュケは妹の幸運を妬んだ姉たちに唆され、アモルの戒めにも関わらず、好奇心を抑えられずにその姿をランプで照らしてみてしまう。怒ったアモルは天界へと帰り、再びアモルに■うことを願うプシュケは、ウェヌスに課された無理難題に立ち向かっていく。その姿を憐れんだユピテルは、プシュケを天界へと迎え入れて神々と同様の不老不死を約束し、アモルとの婚礼を挙げさせるのである。アプレイウスのプシュケはヘラクレスのような英知を持たず、運命に翻弄されるばかりの受動的存在であるし、バロック期に主題化されたプシュケもまた、誘惑に抗うことができない人間としての脆さを備えていた。だが新古典主義美術に見出されたプシュケは、アモルとほぼ等しい背丈、等しい年齢の中性的な娘であり、二人が左右相

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