鹿島美術研究 年報第28号別冊(2011)
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1.アントニオ・カノーヴァ《アモルとプシュケ》(1798)〔図7〕カノーヴァは「アモルとプシュケ」を二度主題として取り上げ、二度目には群像の形を大幅に修正した。横たわるプシュケと、彼女を接吻によって覚醒させるアモルの姿をXの形に纏めた1793年の作例の方が、現在ではよく知られているものと思われるが、ベルニーニの《聖テレサの法悦》の影響が指摘されるように、そこにはなおバロック美術への依拠が認められる。またプシュケはアモルに覚醒されるという意味で受動的存在である(注11)。カノーヴァは二度目のヴァージョンでこの点を改め、群像の構成を二人が直立して寄り添う形へと単純化し、またプシュケの姿をより若く、思春期以前の少女とした。こうした変更はより同時代的関心を惹きつけた《カピトリーノ群像》を意識した形への修正であるといってよい。2.ベルテル・トーヴァルセン《アモルとプシュケ》(1807)〔図8〕「北方のフェーディアス」と呼ばれたベルテル・トーヴァルセンは、カノーヴァ作品を参考にしながらも、更にもう一つの古代彫刻を参考にしている。当時ゲーテが絶賛した《サン・イルデフォンゾ群像》〔図9〕である。この群像彫刻は、当時は双子の兄弟カストルとポルックスを表わしたものと考えられており、ロマン派美術の「友情像」の誕生に大きな影響力を持った。向かって右側にたつ若者は、左右反転させたアモルの姿に重なる。アモルとプシュケは寄り添ってはいるが、二人とも体を正面へ向けており、「カピトリーノ」型から「イルデフォンソ」型への接近は明白である。神と人、男性と女性という相対立する属性は、二人のほぼ等しい背丈、― 337 ―称の群像表現を形成するその表現手法は、観る者に、プシュケをアモルに従属しない、より対等な存在として印象づけるのである。具体的には、新古典主義における「アモルとプシュケ」は、現在は「カピトリーノ群像」として知られる大理石群像彫刻〔図6〕の1749年の発見を機に始まり、二重立像としての古代の範を大きく逸脱しない範囲での彫刻表現が主流である(注10)。接吻を交わすか、抱擁をする二人を象ったこれらの作品は、哲学的イコンとして受容すべき一定の様式性、象徴性を宿している。異性の恋人たちという属性を敢えて強調せず、二人とも思春期以前の少年のように中性的に表現する手法も、カピトリーノ群像の影響とみてよい。これらの図像において強調されているのは、アモルとの婚姻によりプシュケが永遠の生を得る結末から演繹される、生と死、人と神の二元的関係の弁証法的解決であり、人と神、或いは生と死の間を往復する存在としてのプシュケである。以下に代表的作例を挙げる。

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