中世的な身体、よく似通った顔だちによって中和されている。3.ジャン=ジャック・ルキュ《地上のウェヌス神殿》〔図10〕彫刻作品ではないが、幻想建築家ルキュが構想した《ウェヌス神殿》の「アモルの間」壁画は、革命期に特徴的なプシュケのイメージを代弁するものとして言及されてよい。建築物を常にイニシエーションの場、秘跡の場として構想してきたルキュにとって、死すべき人間が魂の不滅を得、不死の生命へと転生するために克服すべき試練、すなわちイニシエーションを受けるプシュケは格好の題材であったに違いない。特に冥界にプロセルピナを訪ねる旅は象徴的である。「新たな生を得るためのイニシエーション」という主題性は、フランス革命を一つの「試練」と捉え、新たな世紀、新たな世界の到来を待望する世界観として、同時代の芸術作品に広汎な主題群を形成しており(注12)、ルキュのこの作品もまた、そうした系譜に含めることができよう。 Ⅲ ロマン主義の友愛像以上、三人ないしは二人一組の群像表現として成立したヘラクレスとプシュケをめぐる主題のヴァリエーションを概観した。二人は「試練を得て新たな生へと転生する人間」であり、18世紀後半に追求された「対立する価値(世界)の弁証法的統合」を視覚化するものでもあった。これらの神話的人物像と、主題、構図ともに連続的関係にあるとみられるのが、その後のロマン主義時代に発生する「友愛像」である(注13)。「友愛」概念は、「自由」「平等」とともにフランス革命のスローガンとなったが、「自由」と「平等」がその後の民主主義の発展において一貫して重要な概念で有り続けたのに対し、「友愛」は程なく政治的文脈から切り離され、ただ隣国ドイツの芸術においてのみ、時代精神を体現する概念となって芸術的表現を与えられた。ロマン派の友愛像の筆頭にあげられるのは、フリードリヒ・オーヴァーベックの《イタリアとゲルマニア》〔図11〕であろう。最初の構想から実に17年を経た1828年に完成した本作品は、「友愛像」というよりはドイツ美術とイタリア美術の融合の寓意といった趣が強いが、1811年に着手された時点では、「ズラミットとマリア」という架空の姉妹を描いたものだった。『ズラミットとマリア』はオーヴァーベックの親友フランツ・プフォルが絵画化された「マリアとマルタ」の姿に発想を得て創作した双子の姉妹の物語である。「瞑想的生」と「活動的生」を体現する「マリアとマルタ」においては、姉妹は行動のみならず容姿も対照的に表現されるのを常とする。それに― 338 ―
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